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〈旅行記ー海外〉 青の都と飯とナンパ #ブハラ編

だいぶ時間が経ってしまったが、ウズベキスタン旅行記第2編である。
第1編? なにそれ? という方は「#事前準備と到着編」を参照していただきたい。
実はウズベキスタン旅行からこれまでに、バンコクやらニューヨークやら行ってきたため、記憶を必死に手繰り寄せながらの記事である。自分の記憶力の限界に挑戦だ。

キャラバンの旅

キャラバン……憧れるよね。
とは言いつつ、実際にタシュケントからブハラへとキャラバンの旅を真似れば時間的にもお金的にも、そして何より体力的にも死亡するのは目に見えているので、我々は文明の力に頼った。じゃーん。

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電車だ。なかなか立派な電車である。
車内も綺麗で快適だった。
タシュケントもブハラも、そして勿論サマルカンドも美しい都市だったが、何よりもその車窓から見える景色が素晴らしかった。

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まさしくキャラバンが通りそうな……もとい、インディージョーンズ的な風情である。更に進めば、一層インディージョーンズの風情は増す。
インディがサラーと一緒にぎゃいぎゃいやってないかな? などと思いながらも、勿論そんなわけはなく、電車はスイスイ順調に進んでブハラへ到着した。

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駅舎も立派。
BUXOROと書いてあるけど、これで「ブハラ」と読む。キリル文字の読み方は、慣れない我々にとっては難解だ。
あ、でも慣れたら読めるようになる。なんとなく。それはロシア旅行のときに経験済みだ。人間の慣れって恐ろしいね。
さてこの駅舎、電車が到着した瞬間人でごった返す。
どうやらそういう法律でもあるのか、迎えの人たちは駅の中まで入って来ない。
厳密にいえば入り口にはセキュリティ・チェックがあって、パスポート(身分証明書)とチケットを見せなければ入れないのだが、出口は全くのノーチェックなので入り放題だ。
やっぱり政権が政権なだけあって、そこら辺はきっちりルールを守らないと恐ろしいことになるのだろうか。う~ん、想像したくない。
いずれにせよ、我々は非常に気楽な旅を経てブハラへと到着した。

相変わらず暑っっつい

この記事を読んでくださっている稀有な皆さまは晴れ男ですか晴れ女ですか。それとも雨男ですか雨女ですか。
ちなみにウズベキスタンへと旅立っている私と友は、正真正銘の晴れ人間である(性差の表記が面倒になったので、便宜上、以下「人間」とする)。
そんな我々が、赤道直下――ではないんだけど、中央アジアの暑い地域でその効力を如何なく発揮したらどうなるか。
結論。暑さで死ぬ。
我々は事前手配の際、空港または駅からホテル間の送迎を頼んでいたため、「Taxi, Taxi!!」と騒がしい一団を無視して自分たちの名前を掲げた人物を探すだけで済んだ。
こんなに暑い中で料金交渉とかやってらんねえ。英語通じないし。
暑さにげんなりしながら旧市街地に位置するホテルへやって来た我々は、しかし現金なもので、ホテルの中を見た瞬間歓声を上げた。

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なにこれ、超かわいいんですけど!
女子を捨て去った我であるが、こういう時だけ女子らしい黄色い歓声を上げる。
だってこれ、ほら、ハリウッド映画で出てきそうな理想的なホテルというかコテージというか。
この中庭で涼んでいたら翌朝同じ場所で見知らぬ人が死んで、私は悲鳴を上げる役だ。
ウズベキスタン殺人事件の第一発見者。
私を疑う地元警察だが、たまたま同じホテルに泊まっていた名探偵ポアロがヘイスティングス大尉と共に謎を解いて私の疑念は晴れる。
犯人は被害者の元彼女で、同じくコテージに泊まっていた金持ちの侍女だ。
私は最後に「あの優しい人が、まさか犯人だったなんて……」と呟いて脇に下がる。
もしくは、中庭で涼んでいたら屋上から人が落ちて来る。
そして慌てて何処かへ走り去り、それを追って武装した男が私に逃げた男の行方を尋ねる。
一人目はトム・クルーズに違いない。
トム・クルーズだったら、とりあえず私は一人目の男が立ち去ったのとは全く違う方向を指さすわ。
余談ではあるが、我々が宿泊したこのホテルEmirは元々20世紀前半にユダヤ人の富豪が住んでいた住居だったらしい。
それはさておき、テンションが上がったまま我々はブハラ観光へと乗り出した。
幸いにもブハラは非常に狭い町で、タクシーなど使わずとも徒歩で観光できる。
我々が宿泊したホテルEmirはブハラの旧市街地の中にあったため、非常に便が良かった。ちなみに、ラビハウズ(Labihovuz)の近くだ。
Labihovuzの近くにはナディール・ディヴァン・ベギ・メドレセ(Nadir Devon Begi Madrasasi)など他の観光施設も集中していて、それほど観光に時間は要さない。

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それほど治安も悪いようには思えず、日が高い時間であれば路地裏の散策も楽しい。
黄土色で満ちた地面と壁の中、家の扉が原色で塗られていて、とても可愛らしく更にテンションが上がる。

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表通りを歩けば可愛らしい特産品の陶磁器や絨毯が無造作に売られている。
とてつもなく可愛いのだが、間違いなく砂まみれだ。

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そんなこんな言いながら道を縦横無尽に歩きながらも我々が目指すのは点在しているランドマークである。
暑い暑いと言いながら、私はショールを、友はフードをかぶるという妙に目立つ井出達で散策しながら、歴代ブハラ・ハンの居城であったアルク城(Ark)や預言者ヨブの泉、チャシュマ・アイユブ(Chashma-Ayub)に向かう。
ちなみにArkの中にはコスプレをして座れる皇帝の椅子もあるから、座ってみては如何だろうか。
ちなみに我々は超ノリノリで決めポーズを撮った。トム・クルーズに命を狙われる未来が待ち受けているのに、そうと気が付かない暴君そのままだった。
それを見た欧米系の若者たちも同じように撮っていた。
君たちは一体誰に命を狙われているのかな? 007??

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途中でニャンコと戯れつつ

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ニャンコと戯れつつ

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「猫を撮る時のお前の目はハンターだ」と呆れ顔を隠さない友(猫を撮影する私の姿を撮影していた)と私は空腹に耐えかね、ボラハウズ・モスク(Bolo-Xauz Masjidi)を堪能した後、すぐ近くにあるチャイハナ・ボラハウズへと入った。

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「プロフって美味しいらしいけど、昼前に纏めて炊いて置いておくから、夜は油が浮いて食べられたもんじゃないらしいよ」
「待って。それって確実に胃もたれするヤツじゃね」
「大丈夫、胃薬持ってきた」

抜かりなしか、我が友よ。


我々はとりあえずプロフを注文する。
英語のメニューはないが、雰囲気で乗り切るのが我々スタイルだ。
きっとおいしいに違いないと信じて頼んだ我々の前に出されたのは、プロフ(Palov、チャーハン)、シャシリク(Shashlik、肉の串焼き)、アッチュク・チュチュク(Achchiq-chuchuk、サラダ)である。

うん。美味しい。し、可愛い。
……ん? 可愛い? うん、可愛いな。

「にゃお(メシくれ)」

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ニャンコと戯れつつ。

食事で腹いっぱいになった我々は(そしてニャンコで心もいっぱいになった我々は)更に散策を続け、そしてArk城近くのカフェでフルーツティーを頼んで喉を潤し(凄く美味しかった。ちなみに浮かんでいた虫は丁重に葬った)、夕食場所へ向かっ……

ん……?

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ラク……ダ……?


おじさん「うん、儂のラクダ」

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個人の持ち物だったんかい!!!!!

ということで、次回はサマルカンド編です。

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