相容れない人

(757字)


素直に自分を出すためには、自分の意見を尊重し受け入れてくれる他者の存在がひつようで、

受け入れてくれる人がいなければ、自分を出すことがこわくなって、自分を隠してしまうようになる。


いろんな人に会うと、自分が何を考えていても、何を発しても、それを受け入れてくれるだろうなと思う人はその中にいて、

だからこそ、素直に自分を出していいんだという感覚を得られる。


だけどその中には、私が自分である限り認めてはくれず、同時にその人の思いが私には理解しがたいという人もいる。

私が私のままで、その人がその人のままだったら、絶対に相容れないんだろうなと思う。


今まで、そういう人にであったら、見て見ぬふりをすればいいのだと思っていた。
異文化同士の衝突があるように、相容れない人同士というのは存在するのだから、交わらないところで互いに自分を主張すればいいのだと。



だけど、自分を無条件に受け入れてくれる人しか周りにいなければ、とくだん、自分の考えを主張する必要ってないなって思って。

相容れない人の存在によって、自分のことを「もっとわかってもらいたい」「もっと伝えなきゃ」という感情がムクムクと沸いてきて、

それが自己表現につながるんだな。


だから、自分を表現するためには「絶対に自分を受け入れてくれる人」と「絶対に自分とは相容れない人」の両方が必要で、

その人たちによって「自分をもっと表現してもいい」という気持ちと「自分をもっと表現しなきゃ」という気持ちが出てくるのだな、と思う。


それで、これは完全に自分の感覚だけれども、好きな道を好きなように歩くとき、ちょうどいいバランスで、そういう人たちに出会えるのだと思う。

不思議な巡り合わせだな、と思う。


しかも、また不思議なことに、相容れない人というのは案外自分と似ていたりするからおもしろい。

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