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BAKENEKO DIARY

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飼い猫が交通事故で瀕死の重傷に。安楽死させるべきか、回復を目指して治療するべきか。治療を選択してからも、食道チューブでの給餌、傷の消毒、エサの選び方等、難題に直面する日々。危機を…
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ー安楽死を宣告された猫との35日間ー 1日目

BAKENEKO DIARY /DAY 1. 事故発生  娘のSを塾に送って、帰ってきた。月曜日の夜7時頃。もうすぐそこが家という交差点を左に曲がると、前の車が減速した。その前に、白の軽自動車が1台停まっている。しかし先には、遠くの方にヤマト運輸のトラックが停車しているだけで、なぜそこで軽が立ち往生しているのかわからない。 軽の運転手さんが降りてきて、前の車の人に話しだした。身振りから、何かをよけたいから、もう少しバックしてくれと言っているようだ。この時はまだ想像していなか

ー安楽死を宣告された猫との35日間ー  最終日

BAKENEKO DIARY /DAY 35. 全快⁉のお墨付き  朝起きて、Z動物病院に行く準備をはじめる。お正月をはさんだので、約10日ぶりの診察だ。 娘のSとミータと一緒に病院に着くと、コロナウイルス流行の再拡大で、年末とは待合室の様子少しが変わっていた。お知らせの紙があちこちに貼られている。 「待合室では最小限の人数でお待ちください。診察室に入るのはお一人でお願いします。」 Sも久しぶりに同行したが、車で待たせるべきだろうか。しかし待合室には他に一組しかおらず、

ー安楽死を宣告された猫との35日間ー  34日目

BAKENEKO DIARY /DAY 34. だから猫が好き 明日は10日ぶりにミータの診察のためZ 動物病院に行く。まだ冬休み中の娘のSも「ミータがもう大丈夫かどうか聞きたい」から付いてくると言う。 「ミータ、明日は病院だからね。」 じろりとこちらを見るミータ。「なんか用?」とも言いたげなふてぶしい表情がかわいい。 「わかった? 明日は病院に行くんだよ。」 言いながら、ふと思った。私はいつから、まるで人と話すかのように猫に話しかけるようになったのだろう。なぜ、猫

ー安楽死を宣告された猫との35日間ー  33日目

BAKENEKO DIARY /DAY 33. 愛に感謝をプラスして  事故から1ヶ月と少したった。筋力が戻ってきたミータは、踏ん張って抵抗するので、リードを取り付けるのもひと苦労。獣医のA先生から今後の通院は不要とのお墨付きを得たら、自由に外に行かせてあげるからね、と言い聞かせるが、なかなかね…。  順調に回復するなか、ひとつ残っていた懸念は、左前肢の麻痺だった。少しずつ、手やおもちゃにじゃれて遊べるようになってきたが、動きが遅く弱々しい。以前の動きを知っているだけに、気

ー安楽死を宣告された猫との35日間ー  32日目

BAKENEKO DIARY /DAY 32. ミータのママと兄弟のこと  二日後、新年の休みが終わってZ動物病院が開いたら、ミータの診察に行くことになっている。前回、A先生は今後のことを特に話されなかったが、私は次を最後の診察にできるのではと期待している。ミータは嫌がるだろうけども、A先生に会うまではなんとかリード散歩も継続したい。    ミータは元来、とても臆病だ。そしてケンカに弱い。ここ数年はなくなっていたけども、飼い始めた頃は、おそらく一方的にやられて、よく傷を作って

ー安楽死を宣告された猫との35日間ー  31日目

BAKENEKO DIARY /DAY 31. やっぱり猫って自由だね  新年の朝が来た。夫Pの実家に行って、義父母とお雑煮でお祝いするので、朝ご飯は食べない。ミータには、おせち代わりに少し上等なウェットフードといつものカリカリをあげる。あとは…トイレをさせておかなくちゃ。嫌がるミータになんとかリードを装着。一緒に外の出ると、コートとマフラーで防備しても、元旦の朝はやっぱり寒い。30分ほどして、ミータを家の中に入れようと抱きかかえた。 「ウー」 「え? ミータ、怒った?」

ー安楽死を宣告された猫との35日間ー  30日目

BAKENEKO DIARY /DAY 30. “いつも通り”が一番イイ  今日は2020年12月31日。年はじめには思いもしなかったコロナウイルスの流行で、文字通り“世界中の人”の暮らしが影響を受けた。個人的には、ずっと前から計画していた3月のスペイン旅行を中止せざるを得なくなったのを皮切りに、自分のバドミントンの試合がなくなったのはヘナチョコの腕前だから良いとして、娘の修学旅行もなくなり、青春を賭けていたテニスの大会はほとんど開催されず、夫の在宅勤務が増え…と、多くの人同

ー安楽死を宣告された猫との35日間ー  29日目

BAKENEKO DIARY /DAY 29. 年越し準備とミータの散歩  2020年もあと2日。いつもなら大晦日から同じ市内に住む夫の実家に泊まり、帰省してくる義姉一家と過ごすのだが、今年はコロナ禍のため帰省しないとのこと。私たちはミータを置いて出かけるのもほぼ問題なくなってきたが、さすがに泊まりとなると心許ない。まだ首輪もできていないので、リード散歩を継続しているからだ。ミータは外に出られることがわかってから、室内の猫トイレを使わなくなった。ひと晩くらいなら無理してでも我

ー安楽死を宣告された猫との35日間ー  28日目

BAKENEKO DIARY /DAY 28. それを生命力と呼ぶのか  ミータが食道チューブを外して一週間弱。生々しかった傷口もしっかりとくっついて、分泌物も出なくなった。もう少し皮膚が再生したら、傷口に緩く巻いていたガーゼを首輪に変えられるかもしれない。  年末なので、娘のSと実家に餅つきに行く。5時間ほど家を空けることになるが、ミータをひとり(一匹)で留守番させることにも、もうためらいはない。実家で餅をまるめていると母が言った。 「ミータ、どんな感じ? 調子いいん?

ー安楽死を宣告された猫との35日間ー  27日目

BAKENEKO DIARY /DAY 27. 舌が出た天使  文字通りのV字回復で、ミータの半身麻痺はほとんど気にならなくなった。本人(猫)は「まだ、ここを伸ばすと痛いのよね」とか「首の後ろは掻きにくいわ」とか思っているのかもしれないが、私や娘のSから見ると、「前にできていて、今できないことって何?」と考えるほどになった。  しかし、やはり違うところはある。たとえば、以前なら外から帰ってくると、私やSの脚にスリスリしにきていたが、今は近くに来てもスリスリしない。スリスリす

ー安楽死を宣告された猫との35日間ー  26日目

BAKENEKO DIARY /DAY 26. 隙を見せたら負け  食道チューブを外して、口から食事をするようになって4日目。ミータの動きは、ますます活発になってきた。退院してからの1週間は薄皮を剥ぐように少しずつ。2週目に「元気になってきたな」と感じるようになり、3週間たってチューブを外した後はV字回復。以前よりスピードは落ちるが、階段をかけあがり、高い段差にも飛び乗るようになった。さらに、大好きな砂の上ゴロゴロまで… チューブを装着していたストレスの大きさと、口から食べ

ー安楽死を宣告された猫との35日間ー  24日目

BAKENEKO DIARY /DAY 24. ミータが笑った  口から食べ出すと、ミータの顔つきが変わった。シリンジ給餌をしていた間は、身体は回復してきても、どこか”生き物“感が乏しく、存在感がぼんやりしていた。もちろん体調が万全でないという理由もあっただろうが、事故前に100あった感情の幅が、60くらいに狭まってしまっているような感じ。目の奥の力が弱かったのだ。私と娘のSは、身体に障害が残って気持ちを表現できないのではなく、感性そのものにも後遺症が残り、ミータであってミー

ー安楽死を宣告された猫との35日間ー  25日目

BAKENEKO DIARY /DAY 25. ロンの“膝ハグ”  事故に遭って以来、初めてひとり(一匹)で、ほぼ一日、留守番をしたミータ。結果から言うと、難なくクリア! と言っても、野良猫出身で決して人にベタベタしない猫なので、ひとりが嫌なわけはないのだが。食道チューブを付けていると、チューブがどこかに引っかかったりしないか、お腹が空いても食べられないし、など心配事が多く長時間の外出はためらっていた。やはりチューブを外してご飯を自分で食べてくれると、世話をする人間の開放感も

ー安楽死を宣告された猫との35日間ー  23日目

BAKENEKO DIARY /DAY 23. 跳んだ! 走った!  昨日、3週間近く装着していた食道チューブを外したミータ。分泌液が浸みているので、病院で付けてもらった包帯をはずし、指示された通りやわらかいハンカチに取り替えた。傷口を見ると、まだ見た目は痛々しいが、早くもくっつきはじめている。    チューブが外れると途端に飲み込みやすくなったのか、ミータの食事量は一気に増した。ウェットフードとドライフードを置いておくと、ウェットから食べ始めるが、ドライフードも少し食べられ