見出し画像

ー安楽死を宣告された猫との35日間ー  28日目

BAKENEKO DIARY /DAY 28. それを生命力と呼ぶのか

 ミータが食道チューブを外して一週間弱。生々しかった傷口もしっかりとくっついて、分泌物も出なくなった。もう少し皮膚が再生したら、傷口に緩く巻いていたガーゼを首輪に変えられるかもしれない。

 年末なので、娘のSと実家に餅つきに行く。5時間ほど家を空けることになるが、ミータをひとり(一匹)で留守番させることにも、もうためらいはない。実家で餅をまるめていると母が言った。

「ミータ、どんな感じ? 調子いいん?」
「いやあ、それがすごく良くなって。かなりもう普通やねん。」
「そうなん? すごい生命力やな!」
側で聞いていた父がいう。
「死にかけたのにな~。早いな。」

 そうなのだ。事故で重傷を負ったミータが、獣医さんから安楽死を勧められたのは、ほんの一ヶ月前にこと。悩みに悩み、不安いっぱいで世話をしてきたので、「あっという間」だったとは思わないが、客観的にみれば「たったの一ヶ月」。本当に良かったと心から思うが、その一方で、どうしてこんなに回復できたのかな、とも感じる。

 理由を考えてみると、答えはすぐに思い浮かんだ。要は“ラッキー”だったのだ。ラッキーだったポイントをあげていくとこうなる。

1.家の前で事故に遭った。
2.後続の車が、気が付いて止まってくれたので、動けなくなったところをさらに車にひかれるということがなかった。
3.すぐに飼い主(私)に発見された。
4.最速で規模の大きな動物病院に運べた。
5.獣医師の処置が適切だった。
6.大きな骨折がなかった。
7.十分な看護が受けられた。
8.入院中、家族が頻繁に見舞いに行ってストレスをやわらげた(たぶん)。
9.運動を充分にしていたので、体力があった。
10.運動を充分にしていたので、骨格や筋力が強かった。
11.内臓に損傷がなかった。
12.早い時期から、散歩等で適度なリハビリができた。

 一つくらい欠けてもなんとかなったかもしれないが、このうちの二つ、三つが欠けていたら、ここまで早く回復していなかったと思う。幸運に感謝するしかないのだが、でも、ラッキーだけではない気もしている。

 人間と比べるのが適切かどうかわからないが、人の場合、病気や怪我からの回復には「本人の意志」が大きく関わってくると思う。では猫の場合、「猫の意志」は関係するのか。 “猫”全般とは言い切れないので、今回のミータに限って言うと、私には「ミータの意志」は見えなかった。ミータにあったのは、「生きたい」と頭で考えるような欲求を越えたもの。「生きるために生きている」という、“生命力”そのものだったように感じる。

 命をつなぎとめたのは、確かに動物医療や給餌の技術だった。しかし、その後のミータの回復は、意志よりももっと力強い、生存の本能に依るように思える。退院してすぐ、フラフラの足取りで自分のテリトリーである庭へ行こうとしたこと。心配しながら見守る周囲の人間(私)には目もくれず、愛想のひとつも示すことなく、こんこんと眠って体力を回復させたこと。事故後、はじめて外に出て風や日光に触れたときの目の輝き。口で食べはじめてからの身体の変化。ミータが交通事故から劇的に回復したことを人に話すと、「気持ちが通じたんだね」とか「あきらめないで看護したからだよ」と言ってくれることが多く、それも否定はしないのだが、ただ私の実感としては、ミータの命の火が燃えていたから、という印象が強い。
 
 安楽死を選択しなくて良かったと思う。でも、これは結果論だということもよくわかっている。動物を飼うということは、最終的には命と向き合うということ。日々、それを意識する必要なないけれど、胸の奥にとめおいて、ミータとの毎日を楽しみたいなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?