「辞退される事態」
前回、MCとして遭遇した様々なトラブルが私を育ててくれたのだ、という話でいくつか実際にあった出来事を紹介したのですが…
今回はその中でも、BEMANIという音楽ゲームと深く関わることになった
ある出来事と、その時の気持ちをお話ししたいと思います。
それは、コナミが主催する
「KONAMI Arcade Championship 8th」
決勝ラウンド・ドラムマニア準決勝でのことでした。
すでにいろんな記事になっているので、目にした方も多いのではないかと思うので、詳細は割愛しますが…。
簡単に言うと、出場者の一人が大会本番になってプレイするのを拒み、
出場を辞退する!と宣言、ステージを降りてしまった。
マイクで運営に対しての不満を語ったという出来事でした。
なぜ、今、この記事を書いたのかと言うと‥
私にとってはプロのMCとして反省するところが多々あったということ。
二度と、このプレーヤーにも、これから出場するプレーヤーにも
不快な思いをさせたくないという想いがあったからです。
実は当日、ステージが始まる事前ミーティングで、
イベント運営スタッフからこんなことを言われていました。
スタッフ「実は今回、出場者の選定で不満を持っているプレーヤーもいるようで、ステージへの登壇は無しで、もしかしたらそのまま出場されない方もいるかもと思っていたのですが、全員、揃ってスタンバイされましたので、このまま進めたいと思います」
全員揃ってるなら「やる!」という意思があるんだね~、良かった良かった!
本番で白黒つければOKね🎶
音楽ゲームだけに、あとは「調子(リズム)よくいこうー💕」
なんて軽い気持ちでスタートしました。
「DrumMania」は言わずと知れた、
ドラムを使った筐体でリズムをとる音楽ゲームです。
私も高校のとき、ドラムをかじっていたことがあり、
目の前で超絶テクニックが見られるものと、ワクワクしておりました。
また、メンタル次第では少しのミスが命取りとなることも承知していたので、できるだけ出場者の緊張を和らげてあげたいなぁという一心でした。
余談ですが、私が出場者の名前を読み上げて紹介するとき
いつも「最高のパフォーマンスが発揮できますように!」との一文を
声に出さず読み上げたあと吠えています。
(間が長いと言われることもあってなぁ…)
そんな中、本番!
出演者と準決勝に臨む緊張感を煽っていく
アイドリング中に、それは起こりました。
突然、出場者のひとりがアシスタントのマイクを拝借し、
「ちょっといいですか~?」と
大会への不満を語り始めたのです。
その時、私は咄嗟に会場を見渡しました。
運営監督を探したのです。
MCの基本として、「災害時の対応」は震災後、台本に盛り込まれることもあり、避難方法・場所・パニックを起こさせないアナウンスなどインプットされていることが多いのですが、それ以外の「事件になり得る対応」については、運営監督などに任せることが多いからです。
(この時の判断は難しかった…)
ディレクターが対処する場合は、出演者や一般の方を誘導するアナウンスなどが求められますが、私は監督をその場で見つけられず(実際は斜め前にいた、ゴメンナサイ)、本能で「何か危害を加えるものを持っていた場合」の対処に移っていました。
それは目の前に「大勢のお客さんがいたから」です。
マイクを持つ右手は確認。
が、左手が見えない。
もしかしたら、何か(凶器になるもの)持ってるか…
ステージのモニターを確認。
(ドラムの)スティックが見えた。
階段を降りてお客さんに背を向け対峙する。
急いではいるが、
なるべく刺激しないよう
対話を切らさないよう続ける。
自分も片方の手を隠す。
争わないよ、という姿勢を見せることと
武器があった場合に振り落とす軌道を探られないため。
こういうとき大事なのは、
人を傷つける空気か否かを見極める、なんて大層なことではなく、
最悪を想定して動くことだといつも決めています。
一瞬の判断
彼が主張を続ける中、一瞬、敬語を使うシーンがみられたのです。
武器も持ってない(たぶん…)、
丸腰で敬語を使う…
少なくとも危害を加えたいわけじゃなく
本当に「言いたいことを言いに来たのだ」と、
そこで確信しました。
全世界に配信しているさ中、
中年のみっともない乱闘シーンをさらさなくて良かった~と
安心…は
しませんでした。
ここからは、
私と彼のステージだ
と思ったから。
ここまで来て、こんな大舞台で主張をしてくれる彼を蔑んではいけない。
これは舞台袖に帰ってコナミ側のスタッフと話したとき、共通の認識だったので、「ここのスタッフたち、本当にいいヤツばっかやん!」と感じたところです。
誰も「ゲーム」を通じて不幸になりたい、なんて思わない。
みんな少しでも幸せになりたくて「ゲーム」を楽しんでいる。
同じ思いでも、表現の仕方がそれぞれ違うのは、
ごくごく当たり前のことなのだ。
私はそんなゲームを愛する人を一番近くで応援していたい。
わだかまりがあればゲームで笑いながら解決できるといい。
そしてできれば、幸せな人が多くなってくれるといい。
それをコトバを繋ぐことで架け橋にしていきたい。
そこから、対話を受け入れてくれた彼に敬意を払いつつ
進行に頭を戻していく
このときスタッフは「早く彼を退場させてくれ」と思っていたに違いない。
けれど、彼の行ったことに対して、
彼にもケジメをつけさせてあげなきゃいけない。
じゃなきゃ、一生、彼は音楽ゲームを楽しんでくれないかもしれない。
それだけは何としても避けたい、という想いが
彼の主張を最後まで聴くあの時間でした。
結果的に彼は
「人を傷つけに来たわけじゃなかった」
「音楽ゲームのことが本当に好きだった」
私は今も、
彼をもっとエンターテインメントで救えたんじゃないか?
あの場にいるみんなをもっと楽しませられたんじゃないか?
そう反省しております。
ここで書いたほとんどの感想が、
後々落ち着いてまとまってきたものだけど、
大方、これに近いことが、この時の判断材料だったように思います。
今、一番思うのは、彼にまた心底、ゲームを楽しんでほしい!という願いに尽きます。
そして、ここからさらに
「ゲームを愛するひとを応援するただの人」は
本腰を入れ始めるのです。
次回は
「下戸のソムリエに通じるゲーム愛」
です(マキシマまで遠い…)
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