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継続すること、孤独になること~村上春樹のランニング本の「スタイル」から学ぶ


僕は、村上春樹の小説を中学の時からずっと読んでいますが、2007年に出たランニングについてのエッセイ本『走ることについて語るときに僕の語ること』は、小説を書くとランニングをすることは切っても切り離せないものであるなど、仕事やライフワークをするための姿勢(スタイル!)についてたくさん気づきや学びがたくさんあるものでした。

この記事では、僕自身の村上春樹体験も踏まえながら、どのような学びがあったかを書いていきます。

ランニングをテーマとする本ではありますが、「早く走れる方がすごい」というのとは全然違う価値観で書かれたものです。発売から時間がたっているこの本についてあえて今書いてみたいのは、この本のエッセンスについて、きちんと伝えたいと思うからです。

■村上春樹についての個人史

僕は最初に『ノルウェイの森』を中学の同級生が貸してくれて読んだのですが、面白くなくて、ナニコレ!?と感じました。
主要な登場人物が自殺して、主人公が後ろ向きで諦めていて、この暗い小説は何なの。

ただ、全くこういう小説が書きたい人の気持ちが分からないと思いつつも、
分からない中に、とても気になる何かがあるような気がしました。

その後、高校で部活をやる時期が終わって、1人で受験勉強をしないといけない時期に、(母親から見ると勉強をしているか小説を読んでいるかは分からないので好都合ということもあり)だんだん村上春樹を読むようになってきました。

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上記の写真は、大学2年生(1997年)の時に書いていたノートを写メしたもので、村上春樹のインタビュー記事を張り付けています。

この頃に、バイト先での人間関係でショックな出来事があり、「がんばっていればいつかは報われる」みたいな単純な価値観でぼーっと生きている自分を変えていかないといけないと思わされました。
そんな時に、自分と他人の関係、社会の中の自分を考え直そうとしていた時で、(村上春樹の小説ではなく)村上春樹自身が語っている貴重なテキストだったのでノートに貼り付けたのだと思います。

「もう共闘することはできない」「そういうものをひしひしと感じればこそ、僕としては確固として自分自身の世界を描きたいという思いも生まれたんだと思うんです」といった言葉に、当時はとても癒されました。また、新しい自分の戦い方ができるかもしれないという希望の気持ちが生まれました。

■小説家に強靭な身体は必要か

村上春樹本1

さて、ランニング・エッセイについてです。村上春樹は、1982年に33歳で走り始めて、翌1983年から毎年1回のペースでフルマラソンを走ります。3時間30分くらいで走るそうです。
1996年には、100kmのウルトラマラソンにも出場している本格派のランナーです。

『走ることについて語るときに僕の語ること』の中では、
・以前の仕事の喫茶店経営者からどうして小説家になったか
・ハワイや北海道など、どのような大会に出てどんなことを感じたのか
・小説を書くことと、ランニングをすることはとても密接に関係する行為だ
・朝型で仕事をするとなぜいいか
・1人になるために走っている
・年を取ることはどういうことか
・人と競争するためではなく、今までの自分を超えるために走っている、
いい小説家であるためには、まずは才能だが、集中力と継続力も必要、
そのためには強靭な身体が必要
・小説を書くことは不健全な(時に反社会的要素を含む)もの
といったことが書かれています。

■継続すること

本から引用してみましょう。

「僕自身について語るなら、僕は小説を書くことについての多くを、
道路を毎朝走ることから学んできた。自然に、フィジカルに、そして実務的に。どの程度、どこまで自分を厳しく追い込んでいけばいいのか?
(中略)
なぜなら、僕は自分で今書いている小説が、自分でも好きだからだ。
この次、自分の中から出てくる小説がどんなものになるのか、それが楽しみだからだ。
一人の不完全な人間として、限界を抱えた一人の作家として、矛盾だらけのぱっとしない人生の道を辿りながら、それでも未だにそういう気持ちを抱くことができるのは、ひとつの達成ではないだろうか。いささか大げさかもしれないけど「奇跡」と言ってもいいような気さえする。そしてもし日々走ることが、そのような達成を多少なりとも補助してくれたのだとしたら、僕は走ることに対して深く感謝しなくてはならないだろう。
(中略)
与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることの
(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ。このような意見には、多くのランナーが賛同してくれるはずだ」

今まで走ってきたことが助けとなって、今の小説化としての自分があるということを言っています。文章自体も、とても美しいですよね。

継続すること – リズムを断ち切らないこと。長期的な作業にとってはそれが重要だ。いったんリズムが設定されてしまえば、あとはなんとでもなる。しかし弾み車が一定の速度で確実に回り始めるまでは、継続についてどんなに気をつかっても気を使い過ぎることはない。
(中略)
昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、それがより重要なのだ。長距離走において勝つべき相手がいるとすれば、それは過去の自分自身なのだから。

継続して、リズムを断ち切らないこと。
また、競技で勝つことを目標としないランナーにとっては、勝つべき相手は他人ではなく自分である、ということを言っています。

僕自身のことを考えてみても、いろんなことがあっても、とくかく毎朝デスクに座って昨日どうすればよいか考えて諦めてしまった課題についてもう1度考えてみる。昨日チームが纏まらなかったところに対して、今日何ができるかもう1度動いてみることを、ずっとやって仕事を進めてきた気がします。その時に、この文章が、どこか頭の中にあったのではないかと。

■孤独になること

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さらに、もう1つ引用します。

一人きりになりたいという思いは、常に変わらず僕の中に存在した。
だから一日一時間ばかり走り、そこに自分だけの沈黙の時間を確保することは、僕の精神衛生にとって重要な意味を持つ作業になった。少なくとも走っている間は誰とも話さなくていい。ただまわりの風景を眺め、自分自身を見つめていればいいのだ。それはなにものにも換えがたい貴重なひとときだった。

自分がどんな大変な状況にあったとしても、その外部の状況とは切り離した自分だけの時間を持つということ。積極的に孤独になって、本当は何が大切だったのかを見つめ直すことができること。
過剰にたくさんの人と、過剰にたくさんの情報に出会てしまう今だからこそ、改めて大切にしたいです。

ということで、最後まで読んでいただきありがとうございました!
また、4月にお会いしましょう!!

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