『秋風日記』福永武彦

新潮から出た随筆集シリーズの掉尾を飾る一冊。1974年以降に書かれた随筆を集めて、1978年刊行、翌年には福永は黄泉の河を渡ってしまったので最晩年の作品となった。収められた文章にも、体調の優れないことと、小説を書いていないことが繰り返し述べられている。

とはいえ、文章の調子は決して暗く沈んではおらず、身辺雑記から腰の入った文芸批評まで、闊達で品のある筆さばきは円熟としか言いようのない味わい。

一方、体調の悪さは執筆量には影響していたようで、あまり数は書けなくなっていて、「分類したくても分類のしやうがないから、新しいものを年代順に並べるといふ藝もないことと相成つた。」と後記にあるとおり。

「この方が変化があつて、似たもの同士が並ぶよりは起伏に富むのではないかと内心思はないでもない。」との自賛は伊達ではなくて、堀辰雄や室生犀星の人となりについて暖かい回想を巡らせ、泉鏡花について鋭い批評を被せ、身辺の自然の草花の美しさに目を留めながら、クラシック音楽に身を預ける。

まさに随筆集の面目躍如というべき豊穣さ。病の痛みに耐えながらこんな滋味深い文章をものするその作家としての胆力たるや。

なお、今作は旧仮名遣いで統一されていて、それも文章の品格を高めている。

ところで作中最後に収められた京都奈良の古刹を巡った随想から、基督教の洗礼を受けるまでの、信仰をめぐる福永の魂の遍歴はどのようなものだったのだろうか。

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