『砂の降る教室』石川美南

少しずつ読み進めている書肆侃侃房の現代短歌のクラシックスシリーズの一冊。

現代短歌なのだけれど、全体的には口語短歌なのだけれど、旧仮名遣いの表記を採っていて、時折古語の表現も混じりこむ。

みるくみるくはやく大きくなりたくて銀河の隅で口を開けをり
窓がみなこんなに暗くなつたのにエミールはまだ庭にゐるのよ

こういった表現上の技法がどのような効果を狙ったものか定かには掴めないのだけれど、口語短歌の耳当りの良さというか読みやすさに、古語や旧仮名で少し引っかかりをつけているようで、興味深い。

たとえば日常の会話の中で「良いよね」というのを「良き」と言ったりする場合のような。あるいは滑らかに流れ行く五七五七七の定型に、敢えてアクセントをつけているような。

もう一つ目に付く特徴としては、連作の形をとっているものが多い。ある共通したテーマや状況をいくつもの歌で詠んでいくのだけれど、その共通したものが、何だか不思議な、架空の世界の話になっているのも面白い。

タイトルにもなっている「砂の降る教室」も、砂が降り積もっていく大学の教室、というテーマのもとに、連作歌として読まれたもの。

この本の冒頭に置かれた「砂の降る教室」の連作には、頭書きがついていて

大学がF市に移転したのは、二年程前のことである。
     ✽
古いキャンパスにゐたころ、私たちの朝は、砂をぬぐふことから始まった。

と世界観が提示される。今はもうない不思議な空間へ言葉で読者を誘ってゆくこの手法は、言わば幻想詩のような感触を与え、旧仮名と古語が混じる口語短歌、という不思議な表現も相俟って、何ともアンリアルで不確かな世界になっている。

そこがこの歌集の特徴であり読みどころでもある。個々の歌には意味を取り難い、まさに現代詩のようなものあるけれど、その解らなさも含めてとても面白く惹き込まれた。

ちなみに僕の書架には、阿部公房『砂の女』、日野啓三『砂丘が動くように』、川西蘭『サンド・ヒル博物館』と、砂まみれの世界を描いた小説が何冊かある。この『砂の降る教室』もまた、砂に埋もれてゆく世界を描いた一冊、これらの小説とも響き合うようで、書架に迎え入れたことが嬉しく感じられる。

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