『門』夏目漱石
以前読んだ時は、静かにひっそりと暮らす夫婦二人の佇まいが強く印象に残り、そこには社会から外れて暮らす男女の、二人だけであるがゆえの小さくとも勁い世界があるように感じたけれど、読み返してみるとそれは全くの誤読で、我ながら読解力のなさに情けなくなる。
静かにひっそりと暮らす夫婦には常に不安が付き纏っていて、罪の記憶に苛まれ、いつか今の暮らしが覆されるのではないかと怯えながら暮らす二人。
物語の半分以上、なんということのない夫婦の暮らしが綴られる。穏やかな日々の生活。これを退屈させずに読ませるのはさすが漱石漱石の文体はこれまでの作品と少し違って、饒舌さが薄まって緊張感が感じられる。そこがまた良いんだなあ。
物語後半になって事態は突如動き出し、不安に押しつぶされそうな主人公の突然の参禅を経て、アンチクライマックスとも言うべき宙ぶらりんの結末へ辿り着く。
救いはない。破滅はいつ来るか分からない。そんな不安の中を、人は生きていけるのか。この作品の問い掛けは重い。
そんな不安を共有しながらも健気な妻・お米の気丈さが、美しい。『それから』の三千代が何処か生を放擲するほどの気丈さなのに対して、お米の、夫婦の生活を守ろうという意志、しかしそれが決して救いの灯りにはならない不穏な結末。
二人の世界は確かに社会から離れて閉ざされている。しかしそこには勁さなど微塵もなくて、ただ罪と不安に揺蕩いながら揺れ動く人間の影だけが暗く延びている。