『乱反射』小島なお

18歳で鮮烈にデビューした1986年生まれの著者が、21歳のときに纏めた第一歌集。書肆侃々房から現代短歌クラシックスの一冊として今年復刻された。

学生生活を中心に、若さが溢れ出る日々の暮らしの中の一瞬を切り取る言葉たち。若さに甘えてベタついた感傷に堕さないところが良い。

一読、季節や天候についての語が多いことに気付く。日、雲、雨、春夏秋冬、切り取られる一瞬は、その季節感や空気感丸ごとにパッキングされている。

読みながら、校舎に差し込む陽射しの中に舞う埃や、夏の空の下を通り抜けてゆく若者たちの影が浮かぶ。

かと言って唯青春を謳歌する眩しさだけでもない。短歌を詠むという行為は常に批評的ならざるを得ない。客観的に自己を捉えようとする視線のその先へ、青春の日々の眩しさは駆け出してゆく。

清涼な世界ではあるけれど、やはり実存の影はそこかしこに射している。そうでなければ短歌は生まれない。晴明さと、それが落す影、それらは少しずつズレて、そこに世界が厚みを持って立ち上がってくる。

印象に残った歌をいくつか。

牛乳のあふれるような春の日に天に吸われる桜のおしべ

「牛乳のあふれるような」という比喩に、春の陽射しの眩しさが浮かぶ。

梅雨の夜は重たく赤く濡れている小さき球のさくらんぼ食む

梅雨の夜、赤く濡れたさくらんぼ、どこか淫靡な気配すらする。

草むらに二人はかくれて見えなくて日は南中の時に近づく

この二人が幼い子供なのか、著者と同年代の若者なのか。前者ならば牧歌的な、後者なら何処か性の気配を感じさせる。

右足で左足を砂に埋めている。まだ少しさむい海にきている。

集中この歌だけ読点が打たれている。海の寒々しさ、砂のザラザラした感覚、身体感覚が短歌という形式から逃れ出ていこうと来ているような。

なくさないように鍵につけた鈴いつまでもいつまでも鳴りやまぬ冬

冬の夜の凛とした冷たい空気の中、なくしてはならない大切なものの存在を確かめる。

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