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【映画観覧記】『マトリックス レザレクションズ』(2021)

『マトリックス レザレクションズ(The Matrix Resurrections)』(2021)
監督:ラナ・ウォシャウスキー
出演:キアヌ・リーブス、キャリー=アン・モス、ジェシカ・ヘンウィック

是非とも映画館で観たかったのだけど金欠で行けず、それに上映期間も短かった。
それで有料配信でやっと観るコトができました。

初作「Matrix」1999年、つづく「Reloaded」「Revolutions」2003年、
22年が経過している。
僕はあの頃30歳前半、あまりの衝撃に正直言って自分の世界が揺らいだ。
そう少なからず、その時やっていたあらゆるコトが虚像に見えて放棄してしまいたくなった。
馬鹿な話だ、たかが映画じゃないか、映画こそ架空の物語じゃないか、
いやそれだからこそその絵空事の物語を支持してやまなかった。
なぜならば、その時生きている感覚が希薄だったから、なのかも知れない。
世界は共同幻想で成り立っている、という。
吉本隆明「共同幻想論」から、岸田秀「ものぐさ精神分析」で、薄ら知識として押さえていた何かをこの映画はものの見事に映像化してくれたのだ。
つまりこの世界だけではない、別の世界を開示したことで多角的視点が生まれたのだ。
言うまでもなく、世界は二律背反で成立はしていない。
青の錠剤を選ぼうが、赤の錠剤を選ぼうが、行き先は偶発。
今ある世界を続けるのか、プラグに繋がれ夢を見させられ機械に捕食される世界へ跳ぶのか、
その選択はあまりにも極端で、どちらも真であり幻想である。
第一作でもう完成された映画なので、2,3作目はつけ足しに過ぎない。
それからどうなった、は単に選択次第で、ロールプレイングに続いて終いまで行くだけだ。

そうして今回の「Resurrections」は、ゲームオーバーしてからリトライだ。
主人公がリメイクされ、以前のマトリックスはネットゲームの世界に落とし込まれている。
ゲーム開発者という主人公の気付きは、1作目のループだ。
以前のキャラクターも姿を変え登場する。
肝はネオとトリニティの関係を再構築するということになっていく。
率直に言おう、目新しさはないのである。
「アニマトリックス」にあるように、亜流、スピンオフは幾らでも拵えられるのだから、その中の一形態といってしまっても差し支えない。
それではいったい新しいこの映画に何があるのかと問われたら何なのだろうか?
ファンサービス、同窓会、wikiにあるように監督ラナが両親の死の悲しみを紛らわせるために制作したという話、
僕には皆目見当もつかない。
楽しめなかったわけではない、なにしろ僕はこのシリーズのファンなのだから。

余談
Jefferson Airplane「ホワイト・ラビット」が流れるシーンは強烈だった。
グレース・スリックの声にディレイをかけているので、その遅延がトリップ感を増す。
この曲、映画では何度も意味深なシーンで聞かれるが(「プラトーン」など)
僕としては、この映画シーンを推したい!

ラスベガスをやっつけろ(Fear and Loathing in Las Vegas)』
ジョニー・デップとベニチオ・デル・トロの超絶シーン。
バスタブに沈むデル・トロが「ホワイト・ラビット」をかけたラジカセを湯船に投げ込んで欲しいと懇願するとこ。
ヤバいです。(もちろんかなりキマってます、笑)

Go ask Alice
I think she'll know

Remember what the dormouse said
Feed your head!
Feed your head!!

補足1
この映画はメタ構造で、映画の登場人物たちは、ザイオン(という映画の中での現実)とマトリックス(機械が作り出した仮想現実)を行き来し、それを視聴している僕ら(映画を観ている観客)という3重構造。
そうなると、ネオ達が現実と思い込んでいるザイオンも仮想であるという可能性もでてくるので、もうひとつ飛び越えて、映画を観ていると思い込んでいる僕らの現実は、いったい幻想ではないのかという疑問も湧いてくる。
そうなると映画という虚構の存在は揺らぎ、幾重にも重なった物語に、観客も巻き込まれていくという「胡蝶の夢」の扉が開くというメタ。