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【映観】『マッドマックス:フュリオサ』(2024)

『マッドマックス:フュリオサ (Furiosa : A Mad Max Saga)』(2024)

監督・脚本: ジョージ・ミラー
出演: アニャ・テイラー=ジョイ、クリス・ヘムズワース、トム・バーク

もちろん映画館、"Dolby Atmos"という立体音響システムで観ました。
もうこうなると一つのアトラクションでございます。
映画館がいいのは大画面もさることながら大音量、そして今後VRな空間が提供されていく方向にいくのだろう。

それにしてもだ、もの凄い映画だった!!!
文句なしのぶっ飛び、148分という長尺なれど、息つく暇なし、下手したら呼吸困難だ。
ジョージ・ミラー監督(もうすぐ80歳)アンタどうなってんだよ、凄すぎるじゃんよ!!!

前作「マッドマックス 怒りのデス・ロード」の前を描くスピンオフ。
若き日のフュリオサが主人公、もうマックスはいない(一瞬インターセプター越しに後ろ姿)
彼女の生い立ちを子供時代から追っていくわけで、前作を踏まえてるので先を知ってる人は自然に進行していく。
かといって、初めて見るとしても何も問題なく、楽しめるコトだろう。
逆に言えばコレを見てから、"デス・ロード"へいくというのが、自然な流れでしょう。
この凄さの片鱗を知るためには、過去作を攫っていくのが順当か。

『マッドマックス(Mad Max)』(1979)

近未来、警察官マックスが、妻と子供を暴走集団に殺され復讐するという物語。
それだけである。
そんな単純なストーリーに肉付けされていく、荒っぽい暴走族が徐々に凶暴さを増していき、何気ない日常を侵食していく、
マックスの心理状態は揺れ動き、そうして沸点を迎えるまでゆっくり追い込んでいく描写。
プッツンとタガが外れた彼の凶暴さは、インターセプターV8エンジンと直結し、殺戮へと走っていく。
シリーズ3まで、MAXはメル・ギブソン(これが出世作)
監督はすべてジョージ・ミラーだ。
シリーズ中もっとも好きなのは一作目だ。
自分が中学時分、テレビから録画したビデオテープ(しかもベータ)を繰り返し見た。
父親との思い出は映画と対になっていて、この映画もそんな中のひとつだった。

『マッドマックス2 (The Road Warrior)』(1981)

こちらが最もそれからの世界観を引き継ぐ、戦争勃発後の荒廃した世界。
いわゆる"北斗の拳"が真似した生き残り脱線ゲーム、崩壊した世界で枯渇した石油を争い、略奪集団は民主的集団の石油精製所を強襲するという話が軸となる。
生きる屍のようなマックスが、どちらの集団にも翻弄されながら、生存本能だけで生き残ろうとする姿。
この映画がエポックメイキングなのは、細部に渡るまでこの世界観を表現しようというこだわりだろう。
ヤケにリアルなのだ。
ガンダムが他のロボットアニメと違うように、その細部にしっかりした背景が見え、存在理由が分かるコトが現実感を生む。
インチキじゃない、これは本当に存在してる、そんな高揚感と共に、絶望しかない世界に小さな光を灯す。
この攻撃さはずっと続くテーマ、2作目を境に"Mad Max"という虚構世界は堅固たるものとなる。
前作は低予算映画であるが、この作品はヒットを受けその10倍もの予算での製作。

『マッドマックス/サンダードーム(Mad Max Beyond Thunderdome)』(1985)

ハリウッド的に成り果てたと物議を醸し出したマックスシリーズ第3弾。
ティナ・ターナーを女王にした交易の町、サンダードームと呼ばれる金網リングでの試合、マックス奮闘するの巻。
でも今思えば、宗教や集団心理、次へ繋がる要素を多分に含んでいた映画だったのかも知れない。
ここから約30年を経て"デス・ロード"へと熟成される因子がたくさん垣間見れるという作品でもある。
変に甘っちょろいマックスが嫌いだけど。

『マッドマックス 怒りのデス・ロード(Mad Max: Fury Road)』(2015)

前作"デス・ロード" えぇーもう公開から9年も経ったの!
とにかくこれも半端なく凄いヤツだった。
凄いとしか言えないんだよね、言葉で説明するような映画じゃないんだもん。
マックスには我らがトム・ハーディを配し、まさかの復活を遂げるシリーズ4作目。
されどもマックスはほとんど役立たず、ただそこに居て翻弄されるまま、あっちこちに引きずり回される拷問、
これにはさすがに笑った。一応、主人公なんだけどさw
そうしてフュリオサを中心に新しい萌芽という豪快な作品。
もうイッてこいな力技でグイグイ押していくパワー、予想外に展開していくスピード、度肝抜かれた。
ジョージ・ミラー監督の執念か!
作品が生まれ約35年が濃縮され、その熟成期に数々の亜流を生み、それを本編で見事に回収した感じか。
実際あらゆるディテールの構想は楽しかったろう、クルマにしろバイクにしろ衣装にしろその製作工程は悦びしかないだろう。
考察し研究し練り上げて、凝りに凝って、映画に転嫁していくのだから。


Furiosa : A Mad Max Saga

今作のフュリオサ役は前作シャーリーズ・セロンから、アニャ・テイラーに変わっているが、まるで気付かなかった。
今作の肝、ディメンタスには、マイティ・ソー役だった クリス・ヘムズワース。
ぶら下げてる熊のぬいぐるみが、新井秀樹『ザ・ワールド・イズ・マイン』のモンちゃんだぞ、と著者自身も云ってた。
その小道具だけでその人となりが想像できてしまうというのが、この映画の凄さだ。
イモータン・ジョー役のヒュー・キース・バーンは残念ながら2020年に亡くなってしまい、違った役者になったが、
彼は"Mad Max" 1作目の暴走族リーダー・トーカッターである。
なにかそれだけで胸熱だ。

演者がそれを語らずとも、その場面隅々にある道具がすべてを物語る。
それはそこにあるべき物が必ずそこにあり、マッドマックスの世界観を形作っていて、それを背景にし演者は暴れまくる。
素敵な瞬間だ。
見事にそれはハマり、この映画にしかない魔法を生んでいく。
それが "Mad Max" の醍醐味だ。
すっげーなー、この活動写真たら。
次作もあるのかなぁ〜、
まさかこんな長きに渡るシリーズになるとは、中学生だった自分に教えてあげたい。

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