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【鉄面皮日記】22/10/26. 暗黙了解、自明の理。

何が正しくて悪いのか、成否の行方が判らない。
勝ち負けでいえば、自身が勝っていると思い続ければぜったいに負け知らず。
単に負けちゃいないと信じ、それを後押しする理由を拵えれば、ずっと勝ち続けていられる。
そこにふっとつけいる勝敗の虚無さえ無視し続ければ、あなたは勝者だ。

僕の今年のテーマはきっと「仕事」と「労働」は分けた方がいい、だろう。
齢50を過ぎてこの課題はずいぶんじゃないのか、それは云うまい。
なぜこんなコトに貴重な時間を費やさねばならぬのか、でも今まで無視し続け無自覚に賃金を得ていた罪と罰なのだろう、
と急がなければならないところ寄り道して、掘り起こしていくコトにしてみる。

結局さ、ソリが合わない合わないとか、嫌悪感を覚えるヤツとは、自分自身の見たくない可能性の化身であり、同じ穴のムジナであって、それが具現化しているにすぎないようだ。
出は同じ、ソイツになってしまう可能性もあって、なんとか逃げ果せて今の自分に辿り着いてる。
それは美意識だったり、自尊心であったりして、例えば高倉健がその時どうするんだろうとか思って自制するコトにも似ている。
健さん自体がどうであったかは知る由もないが、映画に於ける彼がぜったいにしないコト、それをしてしまったら健さんではなくなってしまうコト、かっこいいコトを裏切ってしまったらアイデンティティが揺らいでしまう。
だからそれを避けたり隠したり逃亡し続け、なんとか自己を確立したところに、見たくもない可能性のソイツが出現する。
ソイツはクソ野郎、矮小で狭い世界に住み、戦々恐々と怯え、他者を攻撃し安心感を得て、強いものに媚びあつらう。
見ていて反吐が出るクソ野郎。
これが僕の評価なのだが、ソイツが仕事の上司ということになる。
ソイツは今の仕事にプライドはなくサボることだけに時間を費やしてる。
バカヤロー、サボることについては俺らの方が上手だぞ、殴った相手がガチで満足感を得るように殴られ、寸で殴り飛ばされたフリをしこっちはダメージを受けないというようなそんな真似は心得ている。
現政権のように仕事やってるふりをしてるが、下手クソ過ぎて情けない。
僕の主義としては、賃金と等価の仕事をするというコトで(それを雇用者が決めるなということはおいといて)それ以上でもそれ以下でもなく、与えられた職務をこなせば、後は堂々と休めばいいのである。
当然、雇用主は次の仕事を用意するであろうが、そこで賃金アップ交渉のステージに上がれる。
早く済むような仕事を長回して、あたかもこれだけ時間が掛かりましたと言わんばかりの誤魔化しが、胸クソ悪い。
根がせっかちで、タラタラとしてるのが厭なので、合理的に動かないと時間の浪費に思えて、揚げ足を取った。
もしかしたらそれが現代の処世術であり、仕事の効率が早まればそんな判例の上、さらに過酷な労働が押し付けられてしまうこともあり、適当にお茶を濁しのらりくらりとかわすという方策もあるのだろう。
どっちつかずでもある。
楽して稼げれば雇われ人としては万々歳、そんなやり方で過ごしてる人も多いのだろう。
でも僕はやっぱり自身の考える賃金と等価の仕事を支持したいけれど。

ソイツの話をもうひとつ、僕と障害者が従事する仕事だが、とにかくヤツは命令ばかりで動かない。
どんな奴にしろ、仕事は一緒に動かなければ、そこになんの共通意識も生まれないもので、同じように動いてナンボだと思う。身体を使ってだ。
古い人間だとお思いでしょうが、同じように労働し同じ汗をかき同じ釜の飯を喰う(最後の飯は別にいいけど)
そうして敬意も生まれ、強制ではなく自然と指示に従えるようになるものだ。
どんなに威嚇したってダメ、だってアンタやってないじゃんでおしまい。
説得力がない。
先頭に立って突っ込めよ、後方で「行けー!」と叫ぶんじゃないよ、オマエが砲弾くらって死ねよ、という感じ。
だから僕は、寡黙にただ動き、見本を示すことにした。
べつにいいです、健さんにはなれるわけもないけれど、暗黙了解。

少し愚痴っぽくなって申し訳ありませんです。
そんなわけで、ソイツと少し仲違いしまして、今の仕事の辞意を上に表明いたしました。
負けたわけではありません、否、負ける時もあるだろう、何れにせよたいしたコトではありません。
オトナなので次の人材が見つかるまでというコトで、当初の予定通り一年(失業手当目当て)までは見つからない場合やりますよ、と少し優位に立った感じ。
これは誰にも迷惑を掛けず円満退社ができる道筋を、帰せずそうなったコトになるわけで、瓢箪から駒なのか、なるようになるようにできているのだと、そう思う次第でござんす。