見出し画像

ミャーク・コーリング(2019)

カギンミヒダビーチ(通称:池間ロープ)

2019年10月1日から9日間、宮古島へ行ってきました。颱風のため飛行機が飛ばなくて1日遅れで到着。
帰ってきても颱風、今年は致命的なヤツが強襲してきます。
なにせこればかりは自然の為すべき仕業なので誰にも文句は云えない。
それにこういった自然災害、これから増えていくコトも覚悟せねばなるまい。
今までのツケをきっちり支払わなければならないだろう。

前口上

こうして日常に戻っていわゆる定住地、確かに今現在この場所で生活をしているが、何か判然としない気持ちもある。いったいどこからどこまでが旅であり日常であるのか、その境目などは見当たらない。今までの住居で最長なのが、幼稚園から小学校卒業まで過ごした名古屋、それでも8年といったところか。東京でもたぶん最長6~7年で転居しているはずだからこれはもう通りすがっている最中とも言え、その土地々に執着などないと言えないか。なるほどなぁ、Passenger(乗客)でしかないのかもなァと独り言つのであった。生涯、間借り人であり、同時に何処にでも安住できてしまう質である。世界(土地)は誰のものでもなく、所有できるスジのものでもない、それを行く先々で旅は教えてくれる。

うちなーイメージ

沖縄には勝手に過剰な期待をしていた。南国の空気感、シーサーの居る石垣、路地の角々にぶつかると"石敢當"、三線の旋律にウチナーグチ、海の遠くから雨雲が迫ってくるのが見えると当然のように雨が落ち、その雲の影が通り過ぎていくのを目にする。突風に近い風は潮の香を残し、浅瀬が続くサンゴ礁の蒼、空の蒼、天と地の境目もない。

初めて行ったのは20代後半、本島と久米島だった、と思う。強烈だった。那覇の国際通りにある小屋で、喜納昌吉のライヴを観た。僕らは演奏が終わっても居座りかなり酔っ払って、帰り路ベロベロで歩いていたら、喜納さんの奥さん(いや愛人?)が車でホテルまで送ってくれた。「今日の演奏、調子悪くてゴメンなさい」となぜか謝られた。僕は口が悪いので、たぶんライヴ後文句でもほざいていたのだろう、なんか気持ちが暖かくなったのを覚えてる。久米島へは船で渡り、泡盛酒造の試飲でベロベロ、何もかもが蒼くそこに南国特有の赤い花、無限に続くかのようなサトウキビ畑、待てど暮らせどやってこないバス、夜は泡盛のボトルを持って潮の退いた浅瀬の岸で酒盛り、気が付けば周囲に海が迫って、慌ててえっこらせっせと腰まで海に浸かって戻った。なんでもかんでも許せてしまうような、それが沖縄タイムだった。それから本島はあまりなく、石垣島を中心に西表島、波照間島、八重山諸島へと行った。宮古島は今回で2回目、6年ぶりだった。

1日目

到着と同時に予約してあったレンタカーで、宿泊させてもらうAF氏宅のある西里通りまで。そこはもう繁華街のド真ん中、コンビニ(ファミマ)が中心点であるならばそこから放射状に軒並み賑やかなとこ、東京で例えるなら新宿歌舞伎町とでも言おうか、そんなとこでした。AF氏は石垣島へ飛んでしまったので、入れ違いで常駐するコトになる。6年前に地理とかかなり把握していたハズであったが、忘れてしまうものです。同じところをグルグル旋回ばかりした。

夜は早速、下北沢時代からお世話になっている『Big Chief』へお邪魔した。前回も遊んでもらいましたが、その時はまだこちらで開店していなくて、間借りBAR営業だった。イカしたニューオリンズ仕立てのダイニング・バー、来島中は夜な夜な通いました!犬(ネリ)猫2(チコリ、オクラ)も常駐。

それで幾分酔っ払った帰り道、夜のパイナガマビーチへとシャレこもうと教えられた道を辿ってみたら、真っ暗闇すぎて亀甲墓(お墓)がたくさん現れて(こちらの墓てば庭があるくらい広くってご先祖様が一堂に入ってらっしゃる、当に亀甲造りなので豪華絢爛)そんなのが立ち現れてきたので薄っ気味悪くなってきて急いで逃げ帰った。次の朝、通ってみたらなんでもなかったんだけどね。

2日目

前回にはまだ通っていなかった伊良部大橋を渡り伊良部島をぐるりと周回し、見つけた浜で遊ぶ。そこで見かけた鳥居のある神社に少し違和感をもった。こちらではやはり御嶽(うたき)祖先神を祀る場、神が降りていらっしゃる聖地だ。鬱蒼とした森の中ちょっとした拓けた空地、礼拝所もなければ御神体もなくただ空間がある。そこへユタ(神人:カミンチュ)いわゆるシャーマンによって土地の神が降りてくる。ユタはすべて女性であり、御嶽は男子禁制。こういった何もない空間に圧倒的な見えざる力、それに原初の息吹を感じる。言ってしまえば、様式、伝統などという形にこだわったり、偶像や寺院などで着飾ったり、念仏や説教など唱えるような宗教に、不純なものを感じてきている。何もない、そこに清潔で聖なる信仰を見る。少しばかり神社巡りに飽いたのかも知れないが、静謐とはそういった自然物に在るのではないだろうか、とか考えたりした。でも石垣島じゃ空き地だと思い立ちしょんしたら御嶽でして、えらく叱られたコトがある。
この後、夕刻に友人Sくん来宮でホテルまで迎えにいく。彼はこの島ではセレブなリゾートホテル、シギラでのご滞在。でも呑むならやっぱ西里通りなのである。スナックが所狭しと連なる地域を散策しながら、BCを経由して夜の街へ繰り出した。

3日目

異変を感じたのが3日目である。最初は昨日の酒がまだ残ってるのかしらんという程度だったが、Sくんのホテルまで出掛けたところで急に目眩と強烈な頭痛、倒れ込んでしまう。そこからは旅の中でのトリップ、劇中劇といった感じで、目まぐるしく状況が変わる。寒気や関節痛、汗をかいたと思えば汗はひく、潮の満ち引きの如くだ。熱が上がっていくのは分かるが、いつもの風邪のようなものとは様子が違い精神的に打ちのめされる。バッドトリップ、もはやその時何を見たのやら思い出すことは出来ないが、かなりアシッド的な幻覚に満ち溢れていたような気がする。それも気持ちいい型ではなくとても悪意に満ちた型、呪詛の言葉しか出てこない毒を出している感じ。次の日も動けなかった。驚いたことにAF氏が石垣島から戻ってきたら似たような状況で、バッドにトリップしていた。そして、僕が宮古に滞在する間、彼はずっと病身のままベッドにうずくまっていたのである。一度は病院まで送り、点滴投与といった有様だった。

パーントゥ

2018年に無形文化遺産となったパーントゥ。

パーントゥは親(ウヤ)パーントゥ、中(ナカ)パーントゥ、子(フファ)パーントゥの3体の来訪神で、仮面を着けシイノキカズラ(方言名:キャーン)という蔓草をまとい、「ンマリガー」(産まれ泉)と呼ばれる井戸の底に溜まった泥を全身に塗って現れ、集落を回って厄払いをする。厄払いは誰彼かまわず人や家屋に泥を塗りつけて回るというもので、泥を塗ると悪霊を連れ去るとされている。開催は旧暦9月吉日とされているが、興味本位でこの行事に参加する観光客による苦情が問題となり、日程掲載や大々的な宣伝はしない。その奇祭が滞在中に行われることを知って、平良地区島尻まで出掛けた。

いざ戦場へと向かう一行

シマムラ激安衣類をゲットして泥対策もバッチリ、意気揚々と夕刻の村へと歩く。流石に世界遺産、物見遊山な人だかり、そんな人だかりの一団が近付いてくると思いきや、それがパーントゥを囲む人たちだった。皆手に手に携帯持って写メっている。それはもう哀れな姿で、身動き取れぬ神さまパンダ状態、驚かせるどころか脅されている様であった。有名になり過ぎるってのも困りもんだよなァ、と呆れていると、暗がりからいきなり走り抜けるパーントゥがっ!あまりの素早さに呆然とする人を次々と襲い、バンっと叩いて泥を塗りつけては駆け抜けていった。おぉー、勇ましいヤツ!村の集会所の辺りではささやかな露店もあって、また違うパーントゥが人々に囲まれていた。僕も近くまで行き写メろうとしたら、いきなり後ろを振り返り背後にいた女性は驚いて転倒してしまった。やはり近づくと圧倒的な怖さがある。泥をつけられりゃ無病息災なのだけど、僕もビビって逃げちゃう。後から撮った写真を見たらブルってるからか全部ボケボケであった。泥をつけてもらいたい連中が押し寄せるので、パーントゥも泥を補充せねばなるまい。あまりの大人数にヤツらは完全にグロッキーで、肩で息して基地へと戻っていく。お、さっきの素早いヤツがまた風のように駆け抜けてったぞ、ヤツはとことん攻撃型だ。パーントゥ泥補充の出待ち、「来たぞー!」ていうデマを流布するオオカミ少年たち、そんな人混みからスルッと抜け出したパーントゥがなぜか僕の目前にいた。一瞬、身構えて受け身の姿勢、いややっぱ厭だってなって及び腰になったところ顔をパンっと叩かれた。こうして無事?任務完了。せっかくだから泥塗られました。厄は落ちたと信じたい。

無病息災どろまみれ

池間島

周囲10kmほどの小さな島、池間島へは何回か行った。池間大橋を渡ってすぐある売店、土産物屋で買い出し、そのまま進むと小さな海岸が点在してる。ロープをつたって降りていくカギンミヒダビーチ(通称:池間ロープ)がお気に入り。深く抉られた岩山がちょうど日陰になりヴィラのような個室が出来上がり、そこに基地をつくって海へと遠征する。人影も疎ら、これはきっと夜も楽しいぞと密かにキャンプの計画を立てていたけど(わざわざテントなども持ってきてたので)、最後の日、昼間から5時間くらい居たらもう満足してしまった。それにしてもほとんど折り椅子に座り、ぐーたらと波を眺めていただけだったのだがまるで時間が失われている。覚えているのが、こうやって海の波打ち際を眺めながら今際の際を迎えられたらそんな仕合わせなコトはないだろうな、というようなコト。きっと波音と日射で催眠にでもかかっていたのだろう。

シギラ・リゾート

シギラ・リゾート

全快とまではいかなかったが半病身で、オリオンビールと泡盛は浴びるように呑んだ。さすがに酩酊してしまった次の日、あまりの二日酔いに前半に寝込んだ時より辛くて、嫌悪感と頭痛で困憊した。なにもこんなになるまで呑らなくてもいいぢゃないかと、まぁよくある話であるが自身を戒める。そんな時はSくんのリッチなホテルへ行き、ベランダにあるジャグジーに浸かる。シギラ・リゾート、宮古に来てここだけで終えても悪くはない。いやきっとそんな年配の方も多いのでは。老人ホーム「やすらぎの郷」を彷彿とさせるのはなぜなのだろう。シムシティのように次々と建設される施設、レストランはともかくプール、ゴルフ場、温泉、リフトにセグウェイ、ライヴ施設まである。もちろんダイビングやツアーも充実してるだろう。それで僕から提案なのだが、映画館てのはどうでしょう。なんたって西里にある島唯一の映画館は改装中、それもお世辞にも立派とは言えない施設だし、あそこでスターウォーズ観なければならないとしたら、それはすごく残念なことだと思う。シギラやっちゃいなよ。

ちょっとした油断で(コインパーキングが満車だったから)路駐していたら、しっかり駐禁違反を取られた。レンタカー屋にも皆にも注意されていたのに。観光に来て、病院にも警察署にも出向いたのはなんだか得したような気がする。確実に反則金を取られて損しているのだけど。AFさんとテレビで「金田一耕助」と「ロッキー」を見る。限りなく日常である。手持ちの金は限られている。使い果たせばさて働かなければならないというコトになり、飯喰って顔見知りもできて飲み友達もできて、恋なんて始まっちゃったら、行きずりの恋なんて柄じゃないなんて言ってられなくなっちゃって、それが定住てことかしら。なんだか生業てのは流転なのだなァ。

パイナガマビーチ

パイナガマビーチ

朝はよくパイナガマまで通った。あそこのコンビニでスパム握り飯とオリオンを買い海を眺めて過ごすだけ。なんの衒いもない、景色に同化するだけなのだ。歩いていると野良猫によく出会う。写真撮っていたら、おじいが「飼ってくれねーか」て言うんだけど「家にもう一匹居るんで」と冴えない返答する。西原からの最短コースを覚えたのは最後の日だった。

沖縄には

「美ら瘡(ちゅらかさ)」

という言葉がある。天然痘のことだそうである。

「病いといえども(他界からくる神だから)いちおうは護め迎え、快く送り出す習わしになっていたのである。・・・海の彼岸より遠来するものは、必ず善美なるものとして受け入れるのが、大なり小なり、われわれに持ち伝えた信じ方であった。」-折口信夫

「恐ろしいからこそ大事にする。人間が自然の気まぐれに対して無力であった時代、災禍をもたらす力は神聖視された。"凶なる神聖"である。それは"幸いなる神聖"と表裏である。幸と不幸とがどこで断絶し、連続しているか、それが誰にわかるというのだろう。・・・幸いはそのまま災いに転じ、災いは不断に幸いに隣り合わせしている。それはつねに転換し得る。」-岡本太郎

中国の支配から薩摩支配下の琉球王朝による搾取、人頭税、近世の明治政府による琉球の強制併合、戦争による玉砕、アメリカの占領と統治、日本に返還されてもなお基地問題が横たわる。
ヤマトンチュ(内地)がとやかく云うべきではない、と思っていた。
旅のあいだ「沖縄文化論-岡本太郎・著」をずっと持ち歩いていたが現地では開くことなく、帰ってから読んだ。
"美ら瘡"か、良きも悪しきも人間に判り得ないというコトだろうか。島の暮らし向きにはそういった側面もある。テーゲー精神、なんくるないさー、で遣り過すしかない自然の強い力が否応なしに介在する。颱風に逆らっても無駄なのだから。まぁしかし厄災を歓迎してしまうてのは、なかなか肝が座ってる。

結び

こうして短い滞在を終えてみても、まだまだ途中であるかのような気ばかりする。落ち着くという概念が欠如しているのだろうか。今日の朝、テレビで首里城が燃えて消失したとか。随分前に行った時は工事で全貌を見られなかった。形あるものは崩れ、人は思い出す人もろとも居なくなってしまえば残像さえ残らない。少し寂しいコトではあるが、さよならだけが人生か、命果てるまで旅は終わらない。

「わたしは"もの"のいのちは作られた瞬間にうち壊されるべきであると思う。でなければ累々とした不潔な排泄物は人間を虚偽におとしいれ、鈍くし、堕落させる。」

岡本太郎


まもる君
池間ロープ
夜の街には猫
また猫

【archive】2019/10