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『MINAMATA-ミナマタ-』(2020)

映画館で観る。

映画館のスタンプが満了したので、久し振りに福井駅方面へと向かい、まずはサイゼで下拵え。
開発ですぐそこまで破壊が迫る駅前、サイゼ2階、この下の古本屋はすでに撤退済みだ。
ワインのデキャンタ200円というのは魅惑的、1割もってかれる消費税に苦虫噛みつつも、映画前ここでの酩酊は定番。
コロナ騒ぎがどうこうというよりも、自身の余裕なき金銭苦が腹立たしいが、せめてこういった映画へ来られるくらいの稼ぎは確保したい。

スタンプ満了で無料でいざ館内へ、客入はたぶん片手、それならそれで、買い込んできた缶ビールをプシュっと。
バカ騒ぎできるような映画ではない、観に来たのは『MINAMATA』
ジョニー・デップ主演制作で、水俣病を撮った写真家ユージン・スミス役を演じる。
「ラスベガスをやっつけろ(Fear And Loathing In Las Vegas)」
「ラム・ダイアリー(The Rum Diary)」
ハンター・S・トンプソン好きなデップの本領発揮、同じ毛色で迫る。

『MINAMATA-ミナマタ-』(2020)

監督: アンドリュー・レヴィタス
出演者: ジョニー・デップ,真田広之,美波,國村隼,加瀬亮,浅野忠信

水俣病、もちろん教科書にも載っていた。
あの有名な「入浴する智子と母」の写真も知っている。
この映画は、企業が廃棄物を海に垂れ流し、それによって水銀中毒と水俣病による痛ましい被害者を描いているのだが、
それを理解していくユージンの記録でもある。
その事象を通して、アルコール依存症とドラッグで蝕まれた自身を取り戻していくのだ。
1945年沖縄戦で砲弾の爆風により全身を負傷し左腕に重傷を負い、顔面の口蓋が砕けた後遺症、戦争の無残さと破壊に精神をも病んでいく。
1947~54年、雑誌『ライフ』での「フォト・エッセイ」
57~65年「ジャズ・ロフト・プロジェクト」
それから70年に水俣を取材するため来日し、3年間取材をすることとなる。
背景を理解すると、とてもとっつきやすくなる。

写真について

ユージン本人、水俣病、それから写真、この三者が絡み合うのがこの映画。
僕は写真に関してはとても懐疑的である。
簡単に言ってしまえば、その瞬間を撮るための準備、セットとセッティングさえあれば誰にだって撮れるのではないのか、連写すれば確率も上がる、そんな具合に写真機任せと偶発性、下拵えと後は素材でいくらでも加工できる代物だと思っていた。
しかしそんな単純なものでもないし、自分がバカなこともよくわかった。
偶然にできる料理などないのだ。
ユージン本人のいい記述を拾った。

これは客観的な本ではない。ジャーナリズムのしきたりからまず取りのぞきたい言葉は『客観的』という言葉だ。そうすれば、出版の『自由』は真実に大きく近づくことになるだろう。そしてたぶん『自由』は取りのぞくべき二番目の言葉だ。この二つの歪曲から解き放たれたジャーナリスト写真家が、そのほんものの責任に取りかかることができる

— ユージン・スミス、写真集『水俣』英語版の序文

写真は見たままの現実を写しとるものだと信じられているが、そうした私たちの信念につけ込んで写真は平気でウソをつくということに気づかねばならない。

— ユージン・スミス、ユージン・スミス写真集

「真っ暗闇のような黒とまっさらな白」のメリハリ、 そのメリハリは、妥協を知らない徹底した暗室作業によって作り出された。それに加え、トリミングを駆使して被写体を強調したり、重ね焼きを用いたりした。
そもそもユージン・スミスは、リアリズム(写実主義)を排除していたとされる。

そんな記述に接すると、一枚の写真にある背景、そこへと至るまでの積み重ねられる努力、技術、美意識は、単純にシャッターを切るだけという行為とは切り離され、崇高に昇華された芸術だと思い知る。
しかもその一枚には、現実を変えうる力を持つ意思が込められるのだから、写真に対する彼の真摯さは愛でしかない。

撮影はセルビア、モンテネグロで行われたそうだが、そんなに気にはならなかった。
日本人勢は、真田広之、浅野忠信、加瀬亮、國村隼とそれぞれしっかりやっているが、上っ面を舐めてる程度の時間しか与えられていないように感じた。
それでも國村隼はチッソ社長役、本当は公害問題が発覚してから押し付けられた代理社長なわけだが、デップと渡り合う場面は力強い。
國村隼といえば、僕の中では松田優作の遺作「ブラックレイン」でヤンチャな若造役で、優作さんに「ひだりです〜〜」と情けない叫び声をあげ殺されちゃうのです。立派な役者になったもんです。

この映画の主題

公害については世界規模で多発してる事象だ。
かといって痛ましくてずっと涙が止まらなかったが、企業と需要、雇用、誰かしらの利便性が生んだ歪み。
勿論企業がそのリスクを少なくするべきだが、コスパを選び人を蔑ろにした結果だろう。
憤るが、しかしその利便を享受してる側なのでむしろ僕らは敵側だ。
チッソが絶対悪ではない、肥料事業・農事産業、石油から得られる塩化ビニールへの合成など、社会に有益な事業でもあった。
問題は廃液を海に無処理でたれ流したズサンな形態だが、それを知り放置した傲慢な企業体質、金満資本主義の最たるもので、最後のテロップで世界中の公害被害の事象が流される。
何も解決はしていないし、その企業に雇用され賃金を得てる地域の複雑さが絡み、沖縄の米軍基地や、原子力発電所などの複合汚染と同じだ。
多数の利便があんな悲惨な世界を生み出すのであらば、できることは今しなければならない。
当たり前だろ?

元妻で映画の登場人物でもあるアイリーン・スミスは、劇中でチッソ社長がユージンにネガの買収を持ち掛けたり、仕事場が放火される脚色について「史実と違う部分はあるにしても、著名な役者が演じた映画を通して、水俣病の根底にある問題を広く世界に知って貰うことの意義は大きい」と語った。

ユージンはチッソ五井工場での暴行を受け、カメラを壊された上、コンクリートに激しく打ち付けられて脊椎を折られ、片目失明の重傷を負う。
そして後遺症による神経障害と視力低下により、カメラのシャッターを切ることもピントを合わせることもできなくなり、1978年10月15日に死去した。

W・ユージン・スミスとアイリーン(本物)

【archive】2021.10.09.