偏愛 -刷り込み-

 学校内に眠っている暗室を発見して以来、写真現像を体験するために暗室を片付けて使える状態にし、現像に必要なケミカルを揃えたエイジの次なる作業は「現像するものを撮る。」ことであった。

 エイジは父親であるヒサジの持っていたカメラを借りることにした。
ヒサジは若い頃に写真を趣味にしており一眼レフカメラや交換レンズの類を持っていたが、子どもの行事の時ぐらいしか登場することはなかった。
そういう訳で難なく借り受けることのできたカメラは、minolta SR-3。
ミノルタがまだブランド名で、社名は千代田光学であった時代のカメラである。
カメラ単体としては露出計を持たない完全マニュアルのカメラであった。
全くの写真初心者にはシャッター速度も絞りもマニュアルというのは荷の重いカメラであったが、シャッターダイヤルに連動するクリップオン式のセレン式露出計が用意されており、ヒサジはそれも所有していたし、別に単体露出計であるセコニックのスタジオデラックスもあった。

そうしてエイジは、外付け露出計の付いた見た目のゴツいカメラと、単体露出計を首からぶら下げるというダブル露出計のよく分からない出で立ちで近所の風景を撮るようになった。

その後、エイジは現像よりも撮ることが目的になってゆき、自分でカメラボディを買い増したり、レンズを買ったりすることになっていくが、他社製品には目もくれず同じSRマウントであるミノルタを選択していく。
同様に現像に際しても、いくつかある現像液を試すこと無く最初に教えてもらったフジのミクロファインを延々と愛用していくことになる。

 何も知らなかったエイジが、写真というタマゴの殻を割って見た最初のカメラメーカーと現像液を「親」と認識したのであった。


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