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写真を撮り始めて40年。 楽しみながら写真の道を歩み続けて今や「道楽」。 そんな道に迷…

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写真を撮り始めて40年。 楽しみながら写真の道を歩み続けて今や「道楽」。 そんな道に迷い、出口の明かりが見えない暗闇の中で綴る遺言。

最近の記事

偏愛 -禁煙-

 シャッター焼けと言う不注意による不具合を生じたM6 TTL 0.85を抱え、エイジは重修理の費用対効果について悩んでいた。 きっと購入時に支払ったものに近い金額になるのではないか。 もしかして、修理しない、と言う選択肢もあるのか。 散々考えた末、エイジはこのM6を手放すことにした。  調子良く使っていた頃に抱いていた小さな不満もその理由の一つであった。M6 TTL 0.85にSUMMICRON 50/2.0と言う組み合わせで使っていたが、メガネを常用しているエイジにとって

    • 偏愛 -あな-

       いよいよ、と言うか、とうとう、と言うかエイジはライカユーザーとなり、意気揚々とライカライフと言う名のレンジファインダーライフを楽しんでいた。 明るくクリアなビューファインダーに、緻密にしっとりと動くダイヤル類の操作感に写真を撮るためだけでない高揚感を感じていた。 たかがカメラに色々と蘊蓄が語られるのも頷ける感があった。  そんなライカを日々愛で、プリントも丁度LYSONのQuad Black Inkシステムでモノクロプリントを楽しんでいた頃である。 そんな写真ライフを楽し

      • 偏愛 -感染-

         使いやすかったMINOLTA CLEを再起不能で失ってしまったエイジは、同時にレンジファインダーカメラも失ったことになる。 Bessa Lで明るく見やすいビューファインダーに出会い、KONICA Hexar Silverでパララックス補正のファンダーに出会ったエイジは、CLEですっかりレンジファインダーの虜になり、その小さな丸窓を覗くことが楽しくなっていた。  なので、早急にレンジファインダーカメラを手に入れなければならなかった。順当に考えれば、ミノルタ偏愛でCLEの使いや

        • 偏愛 -叶わぬ想い-

           エイジのKONICA HEXAR Silverは、主機である一眼レフと共に常にカメラバッグにあり、使用頻度で言うとどちらが主機なのか分からなくなってきていた。 それほどまでに、コンパクトなボディによく写るレンズ、そして広く明るい視野であるビューファインダーのカメラに虜になっていた。 それなのに、欲が出てしまう。 「レンズ交換できれば違うレンズも使えるんじゃないか?」  思い出したら止まらない。ブレーキの壊れたクルマのようである。 程なく「MINOLTA CLE」を迎えるこ

        偏愛 -禁煙-

          偏愛 -ピンぼけ-

           「Voigtlander BESSA-L (フォクトレンダー ベッサ-L)」で明るく広い視野のファインダーに目覚めたエイジであったが、25ミリ、15ミリと言う「超」が付くような広角レンズで、しかもパンフォーカスで使うことが多かったので少々物足りなくなってきた。 もう少し標準よりで、バッチリとピントが合ってる部分とふんわりボケてる部分が同居しているような写真、そう「ピンぼけ」写真も撮りたくなってきていた。 そんなエイジが次に目を付け、結局手に入れてしまうことになったのが「K

          偏愛 -ピンぼけ-

          偏愛 -バージョンアップ-

           MINOLTA Dimage Xでデジカメデビューしたエイジも、翌年には新しいカメラに買い換えた。 2台目のそれは「MINOLTA Dimage F300」。 有効画素数約500万画素のCCD機であったが、Dimage Xが約200万画素であったので約1年で2.5倍の高画素化である。 そんな時代であった。  Dimage Xは電源投入前後でボディサイズが変わることのない、薄型の本当にコンパクトな機体であったが、露出制御はプログラムのみで謂わばシャッターを押せば写るカメラで

          偏愛 -バージョンアップ-

          偏愛 -素通し-

           スランプ、と言うにはおこがましいがエイジの写真熱が下がった時期がある。 フィルムで撮っても暗室環境が無いので思うような現像、プリントができない。カメラのデジタル化も日進月歩進んでいたが、一眼レフはまだまだ高価で手が出せない。 どちらにしても作品発表する機会がない。 バブルの頃、それまで市内に多くあった個展、或いは2、3人で使えば丁度いいような小規模な貸しギャラリーが軒並みテナントビルに建て変わっていったので写真展もできない。 そもそも、この頃エイジと一緒に作品発表してくれる

          偏愛 -素通し-

          偏愛 -K-

           「3K」と言えば、「きつい、汚い、危険」と言う所謂ブラックな環境を比喩する言葉である。 「K」はそれぞれの言葉の頭文字を取っているが、ブラック、即ち「黒」も表していて面白い。  写真の世界では「K3」と言う言葉がある。 EPSONが発売している高品位プリンターに搭載されている「K3インク」と呼ばれるものである。 初代は2006年に発売されたA2版対応の「PX-5800」と言う機種で、ブラック(フォトブラック、マットブラック)の他グレー、ライトグレーという黒系3色のインクを

          偏愛 -新世紀-

           世の中が21世紀を迎えた翌年、エイジの写真史にも新世紀がやってきた。「デジタルカメラ」の初導入である。  ’90年代には、エプソンやカシオなどそれまでフィルムカメラを開発、発売していないメーカーも一般向け普及機のコンパクトデジカメを販売していた。 CanonなどはEOS D30という一眼レフのデジカメを発売していたが、325万画素のセンサーで約36万円という代物で、デジタル一眼レフはまっとうなアマチュアフォトグラファーにとっては高嶺の花、ならぬ高値の花であった。 まだまだ

          偏愛 -新世紀-

          偏愛 -The-

           世がバブルで浮かれていた頃、CONTAX Tと言うカメラの登場で「高級コンパクトカメラ」というカメラのジャンルが生まれた。 古くは、私と同い年のRollei 35と言う名機があるが、このCONTAX T以降Nikon35Ti・28Ti、Konica Hexar、RICOH GR1と他メーカーからも同様の金属外装で、一眼レフ用レンズに引けを取らない高性能なレンズを搭載した、単に押せば写るのとは違う撮影者の意図を反映できるUIを搭載、と言った高級コンパクトカメラが登場した。 C

          偏愛 -The-

          偏愛 -先祖還り-

           エイジには同い年同級生のヨシトクと言う名の従兄弟がいる。 子どもの頃、小学校は別々隣の学区同士であったが、中学に上がると同じ学校に通うようになる。 彼の父親、即ち伯父が長男、ヒサジが次男と言う続柄であったので姓は同じであったが、それぞれどちらかと言えば母親似であったし、エイジは運動音痴の文化系、ヨシトクはスポーツ万能の体育会系であったので同級生の中でも我々が従兄弟同士であることを知っても信じる者は少なかった。  そんなヨシトクが社会人になってお年頃になった頃、縁談相整い結

          偏愛 -先祖還り-

          偏愛 -バブル-

           エイジは、平成元年に大学を卒業した。 世はバブルを謳歌していた。 エイジは、所長以下所員数名の小さな建築設計事務所に通うようになる。 そんな小さな事務所でも、お金の余っている建材メーカーから色々とお誘いがある。 「弊社の工場に製品ができるまでの工程を見学に行きませんか。」 工場見学はするものの、夜はメーカーのごちそうで豪華松阪牛を食べまくり。 「東京に弊社の製品を採用していただいた物件が多数ありますので見学に行きませんか。」 新幹線のチケットも、宿の手配もメーカー持ち。

          偏愛 -バブル-

          偏愛 -リストラ-

           エイジの大学生活も終わりを迎えようと言う頃、一つの決心をする。  まだまだ写真と言えば銀塩であった頃である。 今のようにデジタルカメラで気軽に撮れて、ネットなどで簡単に作品発表できるような時代では全く無い。minoltaではα7000、α9000用のスチルビデオバック「SB-70」が20万円というアクセサリーでデジタル写真を撮影することができたが、まだデジタル化の足音はほんの小さなものであった。  就職して社会に出れば、学生のように好き勝手に写真を撮る時間も、発表する時間

          偏愛 -リストラ-

          偏愛 -BEER-

           エイジのいた写真部では年に何度か写真展を開催して作品発表をすると同時に、一般の人の感想や意見を聞いたり、他大学写真部との交流を図ったりしていた。 この写真展は部主催なので、会場費などは部の予算で支出していた。 そして、先輩の中にはこういった定例の写真展とは別に、数人の有志で写真展を開催する人もいた。 これらの写真展に掛かる費用は基本的にすべて自腹である。  エイジも2年生の時に、同級生4人で「2年生展」と称して市内の小さな貸し画廊で写真展を開催した。 1人あたり4作品程度

          偏愛 -BEER-

          偏愛 -シェア-

           エイジの入部した写真部には、同級生部員がエイジの他3人いた。 日常的に部室に出入りする、すなわち活動している同級生部員はエイジを含め4人であった。(数名の幽霊部員がいたかもしれない) 一人はヤスユキ。愛機はminolta XDであった。名機である。 もう一人はシンジ。愛機はminolta X-700。エイジのものとは違い、AEロックのない前期型であった。 最後の一人はキンゾウ。愛機はCanon AE-1+Programであった。 4人中3人がminoltaユーザーであった

          偏愛 -シェア-

          偏愛 -構成-

           エイジの写真部には10月と3月になると顔をだすOBがいた。  エイジが入学した春に卒業して入れ違いになった先輩で、スクールアルバムの制作会社に勤めるタカアキ先輩であった。  10月と3月、そう、運動会と卒業式のシーズンである。 小学校はどこも同じ日に一斉に運動会や卒業式といった行事を行う。 なのでカメラマンの手が足りなくなる。そこで少しでも写真撮影のスキルがある学生写真部員をアルバイトとして雇おう、と言う訳である。 エイジにとっては、写真を始めて以来初めて写真で対価を得

          偏愛 -構成-