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自分にしかできないことは何か。棒高跳びを通じて伝えるメッセージ

関西学連のnoteが始まりました!記念すべき1回目のバトンです。
第1走は先月、神奈川県平塚市にあるレモンガススタジアム平塚で行われた第61回実業団学生対抗陸上競技大会の棒高跳で5m30cmを跳び、見事2位を獲得した関西学院大学の森田凌世さんです。(写真は本人提供)

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「人は成長し続けられる」

そう語る森田さんが、棒高跳を通して伝えたいことは何か、陸上競技との出会いから現在に至るまでの道のり、また現在活動していることを通して語る思いを聞いてみました。        

1.なんとなくで始めた陸上競技

野球一家の森田さんが陸上競技と出会ったのは小学4年生のときでした。地元香川の陸上クラブで2歳年上の兄が陸上競技をしていたから、というのがきっかけでした。はじめは100mを専門にしていて、香川県で1番の実力を発揮していました。しかし、5年生になると、周囲が成長期を迎え、ぐんぐんと記録を伸ばしていきます。対して、なかなか記録が伸びずこのフィールドでは勝負できない、と思った森田さんは、種目を走り幅跳びに変更します。100mで発揮した陸上競技のセンスは走り幅跳びでも発揮し、ある県の大会では3番をとりました。

そんな森田さんですが、中学校で陸上競技を続けるつもりはなかったといいます。というのも、ただ走っているだけで何が面白いんだろう。という素直な疑問があったから。そんな森田さんの考え方、そして人生を変えたのが『棒高跳び』との出会いでした。

2.恩師の存在

森田さんの人生を変えた瞬間は中学1年生のとき。地元のとある陸上クラブから「棒高跳びをやってみないか?」という勧誘を受けました。実は、森田さんが3年生になる2014年、香川県で全国中学大会が開催されることになっており、棒高跳びの力がある香川県からチャンピオンを生み出したいという陸協のプロジェクトで棒高跳び選手を集めていた中の一人が森田さんでした。

3年生のときに全中で優勝を果たす森田さんですが、それまでの過程には、ともに高みを目指した恩師の存在も大きかったといいます。中学時代の森田さんは、どちらかというとチャラチャラしたタイプで、勉強や学校生活に全力で取り組むことがダサいと思っていたそうです。そんな時に恩師から「陸上競技は自分に挑戦するスポーツだから自分に勝てないやつが周りに勝てるわけがない」という言葉をかけられます。

さらに、2年生で全国大会に付き添いとして参加した森田さんは、香川県の一学年上の棒高跳び選手が予選落ちする姿を目にします。決勝に行くだけの実力はあるはずなのに、あと少しのところで身体がバーに当たってしまい、予選敗退。恩師は「やっぱり自分に勝てなかったなあ」とぼそっとつぶやきました。

この体験と恩師の言葉から、森田さんは高みを目指すために今までの生き方を変えよう決意し、自分が取り組んでこなかったことにも全力で挑戦しました。もちろん、これまで以上に練習にも励みましたが、それ以上に勉強に真剣に取り組んだり、ゴミを見つけたら拾ったりと、これまでのヤンキータイプな自分に打ち勝つということをやり続けた結果、自分の中で自信がついてきて、結果も残せるようになり、3年生のときには全国大会では優勝を果たしました。努力を続ければ俺はできる。優勝は自信にもなっていました。

3.誰かのために自分は跳ぶ

高校生になっても森田さんは、恩師と二人三脚で棒高跳びに向き合い、着実に自己べストを伸ばしていきました。そして高校生活最後のインターハイでは見事2位に輝きました。

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中学時代に続いて、優勝することは叶わなかった森田さんですが、この経験は森田さんの中で特別なものだったといいます。インターハイを一か月前に控えたある日、森田さんは脚を疲労骨折し、ギブス生活を余儀なくされます。

そんな満足いく生活ができない日々を救ってくれたのは周囲の存在でした。学校に送迎してくれる家族、移動の際に荷物を持ってくれるクラスメイトなど、たくさんの人の支えがあって自分は全国の舞台に立っているんだ。と考えが変わり、支えてくれる人のために自分は跳ぼうと思うようになりました。結果は惜しくも2位で、周囲からは惜しかったねと声を掛けられることの方が多かったそうですが、順位以上に学んだことが3年のインターハイにありました。

4.日本インカレ優勝、そして世界へ

大学四年生になった森田さんが掲げる最大の目標は、2024年のパリ五輪に日本代表として出場することです。その過程として、まずは9月に開催される日本インカレでの優勝を目指します。

中学で優勝、高校で準優勝。大学でもう一度優勝することが出来れば、自分の陸上人生において、とても大きな自信になる。と森田さんは語ります。

5m30cmの自己ベストはこれまで何度も跳んでいますが、優勝を狙うためには5m50cmは必須条件となります。未知の高さではありますが、高さに対しても森田さんの熱い意志は折れていません。本番では、練習でやってきたこと以上のことは絶対にできない。練習を試合だと思ってやるという言葉は、あまり好きではないから使いたくないが、試合を意識して練習に取り組んでいく事が大切だと森田さんは語ります。

また、棒高跳び観戦の見どころとして、出場選手のポールが同じものは一つもない点を挙げてくれました。自分のフィジカル、スピード、筋力に合わせたポールを使っていて、長さも太さも選手によって違います。まだまだ知名度の低い競技ではありますが、もっとたくさんの人に棒高跳びの良さを知ってもらってファンを増やしたいと熱く語ってくれました。

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5.今、自分ができること


昨年3月、世界中で新型コロナウイルスが流行し、大学内での練習も制限され、森田さんにとっても満足のいかない日々が続きました。一方、自粛によって生まれた時間の中で、スポーツに対する課題意識を自問自答する時期でもあったといいます。

その課題意識とは、自分は社会人になっても陸上を続けるけれど、本当に自分のためだけに陸上をしても良いのか?社会人になる、社会に出ることは世のために働くはずなのに、自分は何も世のために還元できていないのでは?というものでした。では、そのために自分ができることは何だろうかと考え、その1つの答えとして次世代に自分の等身大の活動すべてを伝えていくことだと結論付けました。

そして、森田さんは今、自分にできることとして7月からFacebookグループでの情報発信をしています。内容は日本インカレ(9/15~17)までの約2か月間で行う活動すべてを開示し、ありのままを共有することで、森田さん自身のアスリートの価値の片鱗に触れていくというものです。

日本インカレ優勝の先、五輪を目指すアスリートとして森田さんが感じたもの、やったこと、全て等身大で開示することで、全国優勝、関西優勝、あるいは社会人になっても陸上競技を続けたい、色々な思いと考えを持った多くの人のロールモデルになることが出来る。

日本インカレ優勝の先に目指す目標は五輪。森田さんの情報発信は9月で完結する訳ではありません。大学卒業後は活動拠点を香川県に戻し、恩師とともに五輪を目指します。目標は大きく、まだ先のことですが、それに向かっての過程をインカレ後は随時、発信していきます。


6.読んでくださった全ての方へ

森田さんが今やっていること、そしてこれから続けていくこと。それが本当に次世代に価値を残せるのか、正解なのか。その答え合わせはまだ先です。ですが、挑戦しないと得ることが出来ないことがあるのも事実です。

Facebookグループを通して、陸上競技を続けたい人だけではなく、社会人になってからもスポーツを続けたい人に向けて何かポジティブな影響を与えていきたい。陸上競技論だけではなくて、スポンサー営業の話、メンタルヘルスの話など、リアルな部分も開示して、スポーツが何より好きでこれからも続けていきたいけれど、少し迷っている。そんな思いをもった方にも読んでもらいたいと思っています。

Facebookをやっている人は少なくなってきていますが、ビジネスにおいて決裁権を持つ層はInstagram、TwitterよりもFacebookにボリュームがあるので、自分の発信をきっかけにもっとたくさんの人にFacebookを始めてほしいとのこと。

また、森田さんは10/24に香川県で棒高跳びのイベントを開催する予定です。コンセプトは、地元の伝統を地元の人に好きになってもらうこと。讃岐提灯や棒高跳びといった香川県の伝統とコラボをして、お祭りチックな楽しいイベントを作ります。香川県に世界大会を誘致できれば!なんて展望も語っていました。そんなこともFacebookグループでは、すべて見せて語っているそうです。

「人は成長し続けられる」

五輪を目指すアスリートとして、スポーツを通じて世の中に価値を残す実業家として、様々な挑戦を続ける森田さんに今後もご注目ください。

Facebookグループはこちら

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