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<ニューヨーク>大学の職員:かなちゃん

今回は、私の高校の同級生でニューヨークの大学で働いているカナちゃんを紹介したいと思います。実はかなちゃんとは高校を卒業してからずっと連絡を取っておらず、もちろん彼女がアメリカに留学していた事も、ニューヨークにずっと住んでいた事も知らなかったのですが、何年か前にフェイスブックで友達になって初めて知ったという経緯です。

今ではたまに海外在住者同士、近況を連絡する仲ですが、彼女もアメリカに来てから色々苦労したそうで、これを読むと海外に出たい方はかなり参考になるかと思います。私も今回初めてかなちゃんの海外移住のフルストーリーを知る事が出来ました!という事で、今回は彼女の言葉そのままでお届けします。

1. 今やっている職業は何ですか?
 
The State University of New YorkのOffice of Regulatory and Research Compliance というオフィスで、Research Compliance Administrator という仕事をしています。Research Complianceというのは、様々な学術研究で、人間が被験者である実験や、動物が実験対象である実験において、人(もしくは動物)の人権が守られているか、倫理に従った実験が行われているかを審査する仕事です。例えば、ニュースなどで報道される実験データの詐称事件や、人権を無視したり、動物を虐待するような実験が学内で起こらないように実験概要、プランを審査します。審査基準は、国、州、そして学内の法に従っているかどうかがメインになります。実際に、審査、実験プランを許可するのは、倫理審査委員会(一定の基準を満たしたメンバーから構成されている)ですので、研究者(教授や大学院生)の書類提出をサポートし、倫理審査委員会のレビューから認定までの過程をサポートするのがメインの業務となっています。
 
2. いつ頃から海外に興味を持っていましたか?
 
中学校2年生、14歳の時に一か月、オレゴン州にホームステイしてからです。両親の意向で、海外に触れる、英語に触れるのを目的に、当時、新聞社と旅行会社が提携して主催していたホームステイプログラムに参加したのがきっかけです。ただし、当時は自分から行きたいと思ったわけでも、英語が喋れるわけでもなく、ただ、1か月をアメリカの家族とすごした、というだけの経験でしたが、以降、ぼんやりとアメリカにまた行きたいなぁと思い始めました。
 
3. 実際に海外に出ようと思ったきっかけは?
 
私はずっと心理学に興味がありました。私が高校、大学に入ったあたりから、臨床心理学(カウンセラーなどのお仕事)という分野がよく聞かれるようになったのですが、当時、心理学部はものすごい倍率で、私が入れた学校は、心理学の専門学部ではなく、心理学、社会学、宗教学を混ぜたいわゆる複合学科だったので、どうしても専門的に心理学が学びたく、留学を決めました。
 
4. 何故今住んでいる国(アメリカ)を選んだのでしょうか?
 
アメリカは言うまでもなく、心理学研究の最先端の国です。そこに10代の頃のぼんやりとした憧れもあったこともあり、アメリカへ行くことを決めました。心理学といっても多種多様な分野に分かれています。私は、大脳生理学、脳やホルモンと心の関係にとても興味があったので、様々な学術文献、論文を読み漁り、行ってみたい学校をいくつか決めた後に、学費、生活費などとの折り合いをみて、具体的な場所を決めました。これは、3の質問にも関係するのですが、日本で大脳生理学、ホルモンや脳の研究をするとなると、どうしても理系、医学部に限定されてしまいます。文系で、4年生大学を卒業した後に再度、国内で受験、しかも医学部(しかも6年)というのは、ハードルが高すぎたので、文系でも生物学的、脳、ホルモンなどの研究ができるアメリカの大学院に行こうと決めました。
 
5. 海外に最初に出てみての印象、または想像と違ったところは?
 
まずは、アメリカ人、外国人の友達がなかなかできない。自分から積極的に交流関係を探さないと、アメリカに行った=アメリカ人の友達ができた、という方式はまず成り立たないということです。私はアメリカに行けば自動的にアメリカ人の友達ができるし、むしろ、アメリカ人の友達がいっぱいできるし、英語もすぐぺらぺらになると信じていたのです(恥)そして、映画やドラマで見るアメリカ的学生生活、というのは、やはりドラマや映画の中のお話であることが多い、ということです。私は英語、特に聞き取り、会話に自信がなかったのでまずは、夏学期にEnglish Program(約3か月間の留学生向けの語学プログラム)に入り、次の秋学期から、大学に編入し、2年後に院過程に入りました。語学プログラムにいる間や、大学の学部生だったころは、どうしても日本人同士でかたまってしまいました。なので英語で読み書きできても、話せない、聞き取れないというところから先に進めませんでした。
 
今になって思うとすごくラッキーなことなのですが、語学プログラムの生徒は、寮も同じプログラムの人たちと部屋割りをされるのですが、私は学校側の手違いでなぜか、一般学生(アメリカ人)の寮に振り当てられました。寮は一つの部屋を二人でシェアするタイプだったのですが、ルームメイトは、NYシティ出身の女性でした。彼女は敬虔なカトリック信者の人で、次の年にカナダに住むフィアンセである牧師さんと結婚するため、カナダの公用語であるフランス語を勉強するために夏学期のクラスを取っていました。自分も別の言語を勉強するために大学にきている、ということもあり、とても親切にしてくれました(ゆっくり話してくれたり、私の発音を直してくれたり)。そして教会へも何度か連れていってもらいました。教会というとびっくりされるかもしれませんが、教会は外国の人へのサポートプログラムを提供しているところも多く、また、色々な人と出会うことができます。
 
当時、私が行っていた大学は、全米でトップランクに挙げられるパーティスクールでした(大学にとってはとても不名誉なランクです)NYといっても、私の大学は田舎の方にあるのですが、沢山の生徒がシティ(それこそ、テレビや映画で見るNY)からやってくるので、毎夜、毎夜、盛大なパーティが行われていました。それこそ、ドラマや映画でみるような、大学生が集まって、Yeah!と言っているようなアレです。寮を出て、後になってからそういったパーティに行くようになりましたが、留学して最初の学期に、最初に出会ったアメリカ人の友達が、とても真面目でそういったパーティなどには参加しないタイプの人で、かつ、とても親切な人だったのは、とても幸運だと思っています。
 
その後、語学プログラムが終了したときに、寮を出て(学期ごとに寮の入れ替えがあるのです)プログラムで一緒だったトルコ人の女の子とルームシェアをして、できる限り、日本人同士だけのコミュニケーションを避け、色々な国の人と交流するようにしました。さらにその後、半年ほどしてから現在の夫と出会い、それからは夫の家族、親族、友人たち(アメリカ人)の交流が始まりました。それによって、英語の聞き取りや会話がだんだんとできるようになったように思います。院に入ってからは、研究ばかりの毎日だったので、英語ばかりしゃべるようにならざるを得ませんでした。
 
そして、海外に行くと英語ぺらぺらになる、なって当然ということ。これもまた思っていたのと違うということです。こちらにきて21年目になります。こちらで仕事をもしているし、不自由なく暮らしていますが、発音のクセは直らない点もいくつもあり、今でもたまに「は?もう一度言ってくれる?」と言われたり、発音を直されることがあります。なので、自国語以外の言葉の学習は一生続くもの、と思います。
 
他にも生活習慣や、文化の違いでショックを受けたり、嫌な思いをしたり、逆にうれしかったり、楽になったことなども沢山あります。よく言われるように、日本の大学との勉強量や勉強に対する学生の姿勢の違いから、人種や性別に関する差別についての色々なこと。印象が違うことはたくさんありますが、メインはやはり、英語に関すること、です。
 
6. 海外に出てみて何が一番良かったですか?
 
今の仕事に就けたことと、夫に出会ったことです。
大層な目標を掲げてやってきたアメリカでしたが、実は私は院、博士号過程を途中で辞めているのです。院過程に入り、念願だった脳とホルモンと心の関係を研究し始めました。私の専攻は、性ホルモンがどのように人の心理に影響するかという分野でした。女性ホルモンや男性ホルモンのバランスが人間の行動にどういった風に影響するかというようなことを研究していたのですが、当時、私は10時間、ぶっ続けで実験(ラットやマウスを使った行動実験、迷路の上にのせたりとか)をしたり、クラスに行ったり、教授や先輩の実験補助をしたり、後輩の指導をしたりする生活をしていました。文字通り、寝る間も惜しんでという感じでした。
 
動物実験をする人にはよくあるケースなのですが、毎日、動物に触ることによって重度のアレルギーや喘息が発症することがあります。私はもともとアレルギー体質だったのですが、それが極度に悪化し、実験中にアナフィラキシーショックを起こし、ERに緊急搬送され、それ以降、実験にはドクターストップがかかりました。さらには、師事していた教授との関係の悪化や毎日の生活のストレスも爆発してしまい、博士号論文作成途中で、もう無理だと院を中退しました。
 
中退するとなると、日本に帰るか、どうか、という選択を迫られます。日本に帰っても何をしようと考えられない精神状態でした。そんな中で、当時、院生としてインターンシップをしていた現オフィスのボスが、それならうちのオフィスで働かない?と誘ってくれたのです。これまでの研究者としての経験と知識、学生としての経験を生かせる上に、すでにオフィスで働いていたこと、さらにはワークビザも補償される、ということでAdministratorとして、今の仕事をはじめ、現在に至ります。ただ一つだけの目標(心理学で博士号を取る)だけでこちらにきて、挫折して、それでもこれまでの経験や知識をフルに生かせる仕事に就いて、やりがいを感じながら日々、仕事ができているのは、幸せなことだと思っています。
 
そして、何より、こんな浮き沈みも激しく、自分のことばかりをやっていた私を支え、励まし続けてくれた夫との出会いが一番よかったことだと思えます。私はそもそもセルフエスティームがとても低く(すぐに私なんて・・・とか、私はダメだ、バカだ、と思うような)英語もあまりできなかったので、それを根気よく、助けてくれました。また、心身共にダメージばかりだったころ。例えば、アレルギーの悪化で全身の皮が剥け、アトピー性皮膚炎で1か月ほど入院しなければならなかったことがあったのですが(上記のアレルギーの悪化とストレス)当時の私はまだ20代で、ボロボロのお化けのような皮膚、痛みと傷から出てくる粘液のせいで服もまともに着れず、知らない人に、ひっ、って声をあげられるくらいにひどい症状の時期。恥ずかしくて、痛みもあひどく、ちっとも治らなくて、もう死んでしまいたいと思った時期に、ずっと大丈夫だから、よくなるから、見た目であなたを選んだんじゃないからと言ってそばにいてくれたこと。
 
夫がアフリカ系アメリカ人だったので、日本にいる家族からは付き合うこと自体を大反対され、さらに、体調が悪化して院を辞めても日本に帰らなかったことが原因で、日本の家族には10年ほどの間、絶縁されていました(数年前に関係を修復できました)。人種も、育った環境も、すべてがまるで違います。楽しいこと、幸せなことばかりだったわけではありません。それでも、出会えて、今も一緒にいることができること、それがここにきてよかったなぁと思うことです。
 
7. 海外に出てみて何が一番大変でしたか?
 
上記にあるもろもろです。言葉のこと、キャリアへの挫折と転換、心と体の不調、毎日の生活。 入籍した時のビザの手続きも大変でしたし、大きな手術をした時も大変で、家を購入するプロセスも大変でした。何が一番大変だったかと改めて考えてみると、どれもこれも大変だったので、これこそは!というのは決め兼ねてしまいます。
 
8. 今後海外に出てみようと思う人へのアドバイスをお願いします。
 
具体的な目標を持つこと、持ち続けること、そしてもしも、その目標に到達できないとしても、その時の自分にとって正しいと思う選択をすること。そしてその選択に後悔しないようにがんばってみつづける、ということでしょうか。それから、自分であり続けること。海外にいるから/行くからという理由で無理に周りの人に合わせたり、逆に自分は周りとは違うんだといったような特別な意識を持ったりせず、ただ、ただ自分の思う「良い自分」「幸せな自分」でいること、同時に、周囲の人たちへのリスペクトの気持ちを忘れないこと。それで結構、なんとかなるものだ、と私は思っています。
 
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かなちゃんの話や、和美さんの話を読むと、やはり海外に出た人は語学や諸々、たくさんの苦難を乗り越えてきたことが分かります。そしてそのように色々と大変な事があっても、自分の目標や生き方を貫いて海外で頑張っている!という事にとても励まされます。それからかなちゃんの旦那さんの優しさ!そういう人と出会えるのもかなちゃんが最後に書いているような生き様(良い自分、幸せな自分でいて周囲へのリスペクトを忘れない)という人柄に魅了されてだったんじゃないかな~。かなちゃん、素敵な話をどうもありがとう!

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実はこのかなちゃん、noteで彼女のアメリカ生活のとっても面白い記事を書いていて、それがコチラ。

またかなちゃんとのライブ配信はコチラ。生かなちゃんが見れますよ~。

それでは。

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