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小童 一つ年をとる

 10年前の曇りの日、この世に生を受けた小童。標準より小さく生まれ母子同室の病院で産後の経過観察のためなかなか一緒の部屋になれなかった。二人目、ということで産後の指導も特になくのんびりしたものだったが、小さく生まれたせいかうまく乳が飲めず胸が張って熱を出しだりもした。術中の出血がひどく貧血になり、毎日の鉄剤の点滴、毎日の血液検査で血管に針を刺されすぎ看護師さん4人がかりで検査をしてくれたりした。小童の世話よりも、そういう処置が一人目より体に堪えた。そんな時、生まれるときにオペに付き添ってくれた助産師さんがフォローしてくれた。張った胸のマッサージは痛かったけどマッサージのあとはとても体が楽になった。

 退院の日も、最後の鉄剤の点滴と一緒にマッサージをしてくれた。

 退院後は祖父母の手伝いもあったが、上の娘の世話もあるし、ゆっくり寝ている暇もない。なにより体の劣化がひどくついに一か月後の蒸し暑い朝めまいで倒れた。一か月検診を早めてもらい受診すると、あの時の助産師さんが待っていてくれた。めまいは耳の奥の石が動いたからだろう、と。産後のストレスと疲労だろうとのことだった。薬もなく慣れるしかない。

 その間に小童の一か月検診もあり、順調に成長していた。小さかった小童もちょっとしっかりしてきた。病棟の端のスペースで、助産師さんが時間をとって産後ケアの時間をとってくれた。自宅での生活、手伝ってくれる人はいるのか、上の子のケアは足りているか。夫の両親と同居していたので手伝いは足りていたし、上の娘も聞き分けのよい手のかからない子だった。それでも、めまいだったり寝不足からくる不調で精神的につらくなっていた。その話をその人はじっと聞いてくれた。うんうん、とうなづきながら。そして、「この子、名前は?」と小童の名前を訊いた。

「なつきです。夏に生まれる」

「なつきちゃん。夏に生きるのね。この子にぴったりのいい名前ね」

 疳の虫の強そうな眉間の青筋を持った小童をみながらそう言った。それから、私の手を握り「がんばってね、お母さん」

 

 夏を生きよ、もちもち好きの娘よ。自由に自分の道を行け。

暑い夏を、自分の足で歩け。


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