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徒然note その3 気づかないうちに他人の目を取り込んでしまっている話

昨日の夜オットと話をしていたことの記録。

同じ町に住んでいる”キヨミン”という私たちがリスペクトしている女性がいる。キヨミンは今まで福祉関係にお仕事をしていて、とっても優しい。優しい人はたくさんいるけど、キヨミンの場合は無条件で肯定したり無理に誉めたりとかじゃなくて、すごくフラットな視点で「でもこうなんじゃないですか」ということを言ってくれたりする。菩薩みたいだ、と私と夫は思っている。

キヨミンはいろんな活動をされているのだけれど、じゃあその活動がたくさんの人に届いたかとか、社会にインパクトを与えたとか、そういう大きな影響を与えたわけではない。(あったらすんません。)
それでも私たちがキヨミンをリスペクトする理由が、キヨミンの目というのか、視線というのか、世界の見方が、私や夫や周りの人にいい影響を与えていると思うからだ。

たとえばダメなパターンで言うと、近所にあるおばちゃんがいたとして、その人が「あそこのスーパーのレジの対応が全然ダメで、普通お客さんに対してもっと…うんちゃらかんちゃら、スピードも遅いし」と言っていたとします。
このおばちゃんの考え好きちゃうな~嫌やな~とあなたは思うでしょう。
でも、もし次そのスーパーに行った時にこう思うかもしれません。
「確かに対応いまいちやな。確かにもうちょっと早くならへんのかな。」
嫌だと思った、でもその人の視線が自分の中に入り込んできてしまう。無意識に。

最近我々も福祉関係の方とお会いしたり話をしたりするようになって、当初結構衝撃を受けた。「なんてこの人たちは優しいんだ!!!」
今まで会社では能力で判断されたり「あいつは仕事できないからダメだ」と上司が言うのを聞いたり、相手の会社の嫌なおっさん相手にニコニコしていないといけないことがあってそれが当たり前だと思っていた。しかし福祉の世界では全く違う。

まぁもちろんすべてパーフェクトなことはないので、福祉の人たちは優しいけどメール返さへんとか、期日守らへんとか、社会人としてどうなんだと思うことがないわけではないけれど、それでも福祉の人たちに出会えたことで、私たちも彼ら/彼女らの持っている暖かくて優しい目を分けてもらうことができたと思っている。

何か大きなインパクトを世の中に残せないとしても、自分の価値観や世界の見方が、じわじわと周りにいい影響を与えていく。
自分もそういう人間でありたいと思ったのでございました。


次回は、「自分がモヤモヤ思っていたことが実は概念としてすでに存在していたアルアル」について書こうと思います。


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