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おくびょう豆太(モチモチの木)~HSCよもやま話②~

伊深塾の度会です。
過去に高校で国語を教えていた経験のある私ですが、ときどき授業で小学校教材を扱っておりました。目的は文学作品の「構造よみ」の例を出すことです。だいたい1時間で1作品を扱うような感じで、生徒も「懐かしい~」と言ってくれてわりと好評でした。
岐阜県ですとほとんどの生徒が知っている「モチモチの木」という作品があります。この作品に登場する主人公の豆太。今もう一度読み直してみて「豆太はもしやHSCなのでは…」と思える点がありましたので、少し書いてみます。

おくびょう豆太

作品の冒頭はいきなり「まったく、豆太ほどおくびょうなやつはいない」から始まります。その理由は「5歳になるのに一人でせっちん(トイレ)に行けない」からなのだとか。
豆太の家は外にせっちんがあって、外に出ると大きなモチモチの木が立っています。夜のモチモチの木は「お化けぇっ」と両手でおどしているように見えるので、豆太はこわくていつもじさまについていってもらうそうです。

HSCは「敏感である」という気質のために小さいころに周囲の人から「臆病」と評価されることもある、とアーロン博士は言っています。

5歳なんてまだ小さいじゃん…と思いますが、猟師をしていた父や、同じく猟師のじさまと比べると「おくびょうだ」と語り手は評価します。
豆太のおとうは「くまと組みうちして、頭をぶっさかれて死んだほどのきもすけ」で、じさまは「六十四の今、まだ青じしをおっかけて、きもをひやすような岩から岩へのとびうつりだって、見事にやってのける」と説明されています。

豆太の「おとう」と「じさま」

豆太の「おとう」と、「じさま」の性格を比べるとどうでしょうか?
私は、じさまはHSPだけどおとうはHSPではないと思います。
夜中に豆太がどんなに小さい声で「じさまぁ」って呼んでも気が付くじさま。ささいな刺激にも気づくことができるのはHSPの特徴だそうです。
HSPは「ひといちばい敏感」で、その気質からとても慎重になることがあるとアーロン博士は言っています。
豆太のおとうは、死んだ時のエピソードから、大胆であると同時に少し無謀なところも感じ取れます。いくらきもすけでも、くまと戦うのはさすがに危ないですよね。
いっぽうじさまは「きもをひやすような岩から岩へのとびうつり」をしても六十四の今まで無事でいるということなので、「大胆さと慎重さを同時に兼ね備えている」と読んでも良さそうです。このあたりはとてもHSPっぽいと思います。

「医者様をよばなくっちゃ」

このようなじさまの一面を、豆太の中にも見ることができます。
じさまが腹痛を起こした真夜中、豆太は一人で、はだしで、半道もあるふもとの村まで医者様をよびに走っていきました。
足から血が出て、いたくて、さむくて、こわくても泣き泣き走った豆太。「大すきなじさまの死んじまうほうが、もっとこわかった」とはいえ、5歳の子が半道(約2km)を夜中に走りぬいたのはすごいことですよね。
でも、この豆太の行動は無謀なものではなく、じさまが助かるようにと医者様のところをまっすぐに目指して走って行ったわけです。
度胸のある行動ですが、おとうが「きもすけ」であるという描写とは少し性質が違うのではないかと思います。

HSCは子どものころ内気で内向的と見られていても、ある時点でとても大胆な行動を起こすこともあるそうです。こうしたところから、私は豆太がHSCなのではないかと思います。

弱虫でも、やさしけりゃ

ほんとうはただ「敏感」であるだけなのに、「臆病」とか「弱虫」とか評価されてきたHSCがいるそうです。アーロン博士は自身の勤めている大学で、「敏感な人」へのインタビューから研究をスタートしたそうです。インタビューの中で、そう語る人が多かったそうです。

HSCはなぜ「臆病」「弱虫」という評価を受けるのでしょうか?その理由について、アーロン博士の本にはこう書かれています。

当然、敏感でない大多数の人は、なぜそのような行動をとるのかを推測して、名前をつけようとします。その時、HSCの中に、自分の中で受け入れ難い嫌な面(おそらく「もろさ」や「弱さ」への恐れのような)を見いだしがちです。

エレイン・N・アーロン著/明橋大二訳『ひといちばい敏感な子』第1章より引用

大人が自分の受け入れがたい面を子どもに「投影」したものが、「臆病」とか「弱虫」という評価になる、と言っているのだと思います。アーロン博士の研究はアメリカで行われたものですが、日本社会も同じように「臆病」や「弱虫」という性質を「好ましくないもの」とこれまで評価してきたと思います。
教科書に長く掲載されている「モチモチの木」ですが、読み手である小学生の、豆太への評価はどんなものでしょう。また、この作品を授業で扱われる先生方の解釈はどうでしょう。
「多様性」が認知され、許容されてきている現在では、ひょっとしたら、豆太のような「こわがりな子ども」に対する評価も、昔よりずいぶん変わってきているのではないでしょうか?

HSCの認知とともに、豆太に対する解釈も変化していくのではないかと私は思います。

参考資料
『ひといちばい敏感な子』エレイン・N・アーロン 著/明橋大二 訳
『モチモチの木』斎藤隆介 著/滝平次郎 絵

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


伊深塾のYoutubeチャンネルで「構造よみ」のお話をしています。


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