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ビートルズと私 映画ザ・ビートルズ:Get Backをみて

時空を超えた《ライブ・ビューイング・ショー》不朽の名曲「Get Back」(原点回帰/復活)に込められた意味とはいったい何なのか。未公開映像を含む 6 時間超の貴重なリストア映像によって構成されるオリジナル・ドキュメンタリー・シリーズ

ディズニープラスチャンネル

幼いころ、父が家でよく大きな音でロックをかけていた。とてもうるさく何度か母と言い争いになっていたことを覚えている。その頃、チャックベリー、プレスリー、そしてビートルズは自然と耳に入っていた。
自分で音楽に興味を持ったのは、小学校3年生の時、TVで放映されていた西遊記のオープニング「モンキーマジック」だった。両親に頼み込み、レコードプレイヤーとゴダイゴの「ガンダーラ」のドーナツ版を買ってもらった。初めて自分で音楽が聴きたいと思った。なぜモンキーマジックでなくエンディング曲のガンダーラだったのかは覚えていない。和歌山のぶらくり丁という商店街の小さなレコード屋で買ったのを覚えている。その頃、英語で歌うTVドラマの主題歌がめずらしく、幼いながら衝撃を受けた。

その後、あまりにも厳しかった校則、当時は普通だった教師からの体罰への反動のせいか、高校ではパンクロックにはまり、大学では60年代のロックを好んで聞いた。洋楽はパンクから入ったため、70年代からさかのぼりながら聞いた。セックスピストルズ→ドアーズ→ジャニス→ジミヘンといった流れだ。ビートルズに関しては、ただのポップスでしょう?といった偏見があり、マッシュルームカットとスーツスタイルがパンクから入った者にとってはロックさを感じなかった。

その頃、ロックを通して当時のポップカルチャーにも興味を持ち、60~70年代の映画やファッション、思想に興味を持った。出会ったのがウッドストックの映画。ウッドストックは今でいうフェスの起源だ。開催したのは20代の若者、20万人の予定が40万人押し寄せ、実質無料コンサート、会場では3名の出産、3日間の野外コンサートといった身近にはない突出したワードが多く、「ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間」の映画を見た。その映画からよりヒッピーの思想、ラブ&ピース、反戦活動といった当時の若者によるカウンターカルチャーに興味を持った。ロックが社会に対し主張し、音楽で世を変える。そのような力を知ったときだった。

ビートルズに関してはジョン・レノンとオノ・ヨーコのビジュアルや活動から興味を持ち始めた。死因がファンによる銃殺、ベトナム反戦運動による政府による殺害説など謎めいており、また愛した相手が日本人女性ということもあって興味が沸いた。ジョン・レノンの「ロックンロール」というカバーアルバムが初めてビートルズというよりジョン・レノンのソロから入った。

ビートルズに関しては、学校の教科書にも載るようなポップスでとてもロックではないと食わず嫌いが続いていた。ただ、ロックとは何かを考えるようになり、見た目や曲調だけでない、もっと多様なものだと気付きはじめる。それは、ローリングストーンズのブライアンジョーンズからだった。シタールをロックに取り入れる、モロッコのミュージシャンと組みソロアルバムを出すなど、当時のロックスターの中では異色だった。「サタニック・マジェスティーズ」を聞いたとき、世間ではストーンズの駄作と言われているが、ブライアンジョーンズが奏でる数々の楽器、コンセプトアルバムといった初めて体験する音楽を何度も聞き影響を受けた。それがビートルズの最高傑作といわれる「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」への回答、リスペクト、真似、当時コンセプトアルバムが流行ったからなどの理由から作成されたと知る。そこで初めて「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を聞いた。
 マッシュルームに細身のスーツといったアイドルのイメージを覆させられた。次に「Help」を聞き、アイドルなのに助けて欲しいとシャウトするジョンがいた。ドラッグカルチャーや瞑想、レコードの逆回転、ノイズもハードなリフもオーケストラを入れるのも、全部ビートルズからではないか。そして全アルバムを聴き、世の中の大よそのロックはビートルズでいう〇〇枚目のアルバムといったように、後にも先にもない、世の中のポップミュージック、ロック、音楽自体を変えた4人組とようやく認識した。
とても遠回りをしてビートルズにたどり着いた。

20代の頃はYouTubeどころかネットもなく、ビートルズの映像を見るにはNHKでたまに行うドキュメンタリー映像か、大阪のアメ村、京都の京極で売っている海賊版のビデオだった。それらを見漁った。そこで強烈に印象に残ったのが最後のコンサート、アップルスタジオの屋上で演奏されたルーフトップパフォーマンスというもの。警察官が来て、町中が大騒ぎするこのゲリラコンサートの映像はずっと脳裏に焼き付いた。

そのリーフトップパフォーマンスに至るまでのドキュメンタリー映画ができたのだ。配信はディズニープラス。7時間38分にもおよぶ映像。監督は「ロード・オブ・ザ・リング」のピーター・ジャクソン。57時間以上の未発表映像と150時間以上の未発表音源をもとに、3年間かけて復元・編集したという。本当に感謝でしかない。今年の年始はずっとこれを見ていた。

アルバム「Let it be」が出たころはビートルズは険悪の仲、原因はいつも仕事場に来るオノヨーコのせい、また嫌気がさしたジョージハリスンがスタジオに来なくなり、4人は不仲となり解散に至った。これが50年間、ずっと述べられてきた解散理由だった。どの書物も映像もこういった説明で、「Let it be」のアルバムが好きになれず、また惰性でやけくそで最後のコンサートを自社ビルの屋上でやったのだろうと、ビートルズのファンになって約25年、ずっとそう思ってきた。

しかし、この映画はすべてを覆し、真実がすべて映されていた。

本当に見れてよかった。
またアルバム「Let it be」の聞き方が180度変わった。

オノヨーコはたしかにずっとジョンのそばにいる。猫のように。ただ誰にも迷惑をかけていないし、仕事に口出しを一切していない。オノヨーコだけでなく他の家族も仕事場に来ている。また、確かにジョージが来なくなる事件は発生する。それはルーフトップの前日にジョンに打ち明けた、「自分の音楽で試してみたくなった、他人に楽曲を提供することも考えたが自分でやりたい」といった当時25歳の若者が将来に対する信念だった。決して仲間を嫌いになったわけでない。ジョンとポールの間に入れないもどかしさ、嫉妬などもあっただろうが、みんな終始笑顔でスタジオ録音している。ポールがジョンをかなり信頼している姿もかなり垣間見れた。相談先はいつもジョンだった。リンゴスターはみんなを静かに見守っている。誰かが、メンバーを増やそう、クラプトンもきっと来るだろうと言ったときポールは「4人でも大変なのに無理だ」と言ったとたん、4人は爆笑。新聞や雑誌であることないこと書かれてもそれを替え歌にし、おどけて歌って遊ぶ4人。昔の曲や他人のロックナンバーを好き勝手に奏でる4人は本当に仲が良く、単に音楽にまっすぐな純粋な若いバンドが居ただけだ。世間が騒ぎ、マスコミがあおり偶像を作り上げたのかもしれない。

音に対して本当にひたむきで何度も何度もやりなおし、アルバムを作っていく。ろくな物しか食べず、身に着けているのも普通。土日は休み、家族を大切にする。メディアのことなど一切気にかけず、金銭的な欲もなく、スター気取りもない、ただただ作りたいメロディーと歌詞を制作していく若者達の青春だった。あの短期間、一か月足らずでゲットバック、レットイット、アクロス ザ ユニバースができあがっていく。そのプロセスがみれたことは本当に貴重だ。

ちょうど今日は1月30日。51年前にルーフトップコンサートが行われた日。Get Back。私も青春時代に感じたことを取り戻すかのようにこれを書くことにした。

(写真は22歳、一人でビートルズの故郷、リバプールを訪れた時に撮影したもの)


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