JNTO東北プロジェクト終了

コロナ以降、日本と台湾を3往復しています。よって合計12週間の隔離を経験しています。そして4月末にはまた日本に行くので、これで7回目の隔離。入国後にすぐに自由に動けた頃が懐かしい。早く通常に戻ってほしいものです。日本政府も、減らないからとあきらめずに、国民も一致団結して、まずは新規感染者を減らしましょう。

いきなり話題がそれましたが、それは初めての隔離中のことです。東京の本社の担当者からJNTOの東北販促のコンペに参加しようよ、とのささやき。普通なら、D通やH堂やJ社が受注するような案件だし、やっても無理だろうと思いつつも、隔離中で出勤もできないしまあやってみましょうということになりました。

政府関係の大型コンペには、苦い経験がありました。台湾は当社なので実際は当方が企画することになります。一度、古巣のJ社の参加に乗って、かなり本気で企画したけどダメでした。次にD社と組んでこれもすべての力を注ぎこんで企画したけどダメでした。3度目の正直という言葉がありますが、まさか当社のような会社が、実質単独で臨んで取れないだろうという思いが強かったせいか吹っ切れた感があり、他社に一切気兼ねなくすべての思いをぶつけました。百数十枚になった企画書をちょうど百枚にまとめ、仕上げて出した時には精も根も尽き果てていました。

約束の審査結果の日になっても発表はありません。コロナの関係かな。プロジェクトが消えたのかな。なんて思って一か月は優に過ぎた頃でしょうか。やっと本社の担当から電話がありました。「決まりました。」と彼。「どこにきまったんだ?早く言ってよ。いやな思いは一瞬にしたいから。」「うちです。」「え、何を言ってんだ?」「だからうちです!」いまでもあのやり取りを覚えています。心底信じられませんでした。ほんの一握りの希望はありましたが、まさか本当にうちに決まるとは。後で聞きましたが、名だたる大手の有名会社が10社以上は参加していたようです。

初めてのオンライン会議がまもなく開かれました。「いや、作りこみましたね。」(そりゃそうです。何日徹夜したか。)私は担当者の方に尋ねました。「いったい、どうしてうちに決まったのですか?」答えは明白でした。「ミニツアーです。」なるほど。(このミニツアーについては、この記事の核心部分なので、別の記事でゆっくり触れたいと思います。)まあこのような出だしが、今回のジャイアントキリング(ラグビーワールドカップで流行りましたね)のスタートでした。

決定した6月ころは、今思うとやっとコロナ第一波が一息しておりましたが、本当に収束に向かうのか不透明な時期でした。やっと案件は獲得はできたものの事態は流動的です。知人の台湾の有名俳優、夢多さんに仕事を頼んだものの、日本での取材は本当にできるのか?有名ブロガー4人による企画も、日本での取材が実施ができるかどうかすら危ぶまれる状況です。週に何本もレギュラー番組を持っている超人気俳優を、4週間も隔離させるのは不可能に近い。じわじわとコロナ第二波が迫ってきました。まずい、このままでは絵に描いた餅におわってしまう。

そこで思いついたのが、動物のぬいぐるみが散歩する、〇〇ジーンという日本のテレビ番組でした。行きたくても日本に行けない俳優に代わって、ぬいぐるみが東北を旅する、その発想はどうだろう?あとはクロマキーによる画面合成で、なんとかリアリティが出せるのではないか?この発想で企画を練り直しました。夢多さん本人は、最後まで雪の蔵王での取材を楽しみにしてましたが。

”秋田犬の秋太郎”というキャラクターを作り、秋田犬の保存会さんにもご協力いただき、スケートのザギトワさんにプレゼントされた秋田犬のまさおのパペットを使わせていただきました。「まさおが、秋太郎として動画に出演した」という想定です。色々と制作会社にも苦労していただき、4本とも撮り終え、多くの修正の後やっとJNTOさんのOKを得ることができました。ある動画はYouTubeで100万閲覧を突破し、他の企画でも過去にもないくらいの大ヒットとなりました。

ではブロガーの取材はどうしようか。彼らにも4週間の隔離前提で日本に行ってもらうのは到底不可能でした。何とかして遠隔取材、代理取材を考えないとなりません。ところがブロガーは、取材内容はもちろん、写真にとてもこだわります。上位のブロガーほどその傾向はあります。写真のクオリティがそのブロガーのブランドに影響するのだから、厳しい目は当然です。

コロナ収束の予想と迫りくるカレンダーとのにらめっこの結果、私と東京の担当者とで東北に代理取材に行くこととなりました。写真については、ブロガー協会の常務で当社顧問の酒雄氏を老師として、指導を仰ぐことになりました。元千駄ヶ谷小学校写真部部長という経験は、一切役立たずであったのは言うまでもありません。

まず、スマホで写真を撮るつもりでしたが、ここからもうあり得ないと全否定。彼の指導でまず10万円以上のSONYのカメラを買いました。そして東北の取材巡業中、毎日1千枚から多い日は2千枚の写真を12日間、撮り続けました。撮った写真は目で見て300枚程度に絞り込んでいきます。この作業だけで1時間半かかります。そして深夜の指導です。ブロガーによっては、取材対象の写真を送ってきて、同じ構図で撮るように指定してくる細かさです。

日に日に睡眠不足がたまっていきましたが、短期間で良く腕を上げたと老師からお褒めの言葉をいただきました。大塚さんの写真はいつも左が2度下がっている、といわれ、カメラ内の水平器の機能で緑ランプがつくように撮りました。同じ構図でも露出を変えて3枚撮り、目検でベストを選びました。固定カメラだけではありません。動画クリップでは、”料理の箸上げ”や、回り込みながら料理を取る要求に応えました。売店のおばちゃんやきりたんぽの先生など興味深い取材対象が居た場合は、アイパッドを持ってブロガーを呼び出してのリアルタイム取材を幾度となく行いました。

そのようにして12日間が過ぎ、結果的にはプロデューサーの酒雄氏にも、ブロガーの各氏にも、JNTOさんにもOKをいただき、意図に近い東北各地の取材記事が4人のブロガーから発信されました。これは既に彼らが持っていた東北各地のプロとしての知見を加えて、初めて完成したものです。同時に私たちも、プロのブロガーとの遠隔取材のコツというか、ノウハウをよく体験することができたといえます。

今回は割愛しましたが、台北の信義のアトレと台中の三井アウトレットでの舞台イベント、オリジナルグッズ制作、アンケート調査、バスや電車での交通広告など、実に多くのメニューを盛り込んでおりました。色々ありましたが、なんとかすべて無事に実施でき、予定の数値基準もクリアすることができ、JNTOさんのOKをいただくことができました。

このような紆余曲折や関係者の方々の努力もあり、なんとかダウンサイジングなしで企画実施が終了。3月中旬のある日、企画書の二倍の200頁にわたる報告書を、JNTOに提出が終了した次第です。「あなた方に頼んで本当によかった」というお言葉に、すべてが癒されたといってよいでしょう。

今回は、コロナ禍でもめげずにアイディアと努力でゴールまで到達できた、という話になりましたが、本当に意味があったのは「ミニツアー」の概念の採用です。ミニツアーは、今後の日本のインバウンドにおいて、すべての常識を覆すキーワードといっても過言ではありません。当社は今回の企画に無関係に台湾の訪日市場の実態を見据えて、ミニツアーの普及に取り組んでいました。それを企画にしたところ政府関係機関に取り上げていただいた、それが本当の意味であったと思います。ミニツアーの解説jは別途創りますので、ぜひまたご覧ください。



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