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子どもの声を聴くって何?

子ども家庭庁ができたことで、アドボケイトという言葉が少し多く聞こえるようになったかなと思います。

ここ数年で見ると、「子どもの声を聴く」という言葉も多くみられるようになったかなと思います。
しかし、「子どもの声を聴く」というのは実はとても難しく、時に矛盾のある言葉になってくることがあるな…と個人的には思っています。

最近では児童養護施設が妙に焦点化されることも多いですが、児童養護施設の子どもの声を聴いただけで、「子どもの声」を理解したつもりになっている人が非常に増えたな…と感じます。
児童養護施設は数ある児童福祉の施設の中の1つであり、ここに在籍している子は確かに何かしらの課題を抱えていることが多いですが、かといって子どもの代表なんかではありません。あくまでも1人の個人です。

当事者の声を聴く…というものに近いですが、あくまでも「個人」の意見であり、聞いている側が勝手に「代表的な意見」にしてしまっていることが多いなと感じることが多々あります。

子どもの声を聴くって何?について考える

何を目的とするかによって変わってきますが、ここでは子どもの社会的課題について知る際に重要になってくると思われる点を考えていきます。

1:何を問題としているか…


まず何を問題としてとらえているかによって、出てくる答えは違うというものです。
実はここが一番の落とし穴だったりします…
問題を問題として認識していない子の「普通」と問題があるがなんとか対処できている子の「普通」というのは同じ「普通」でも全然違います。
価値観によって言葉の持ってくる意味合いや、表現の仕方も違います。
そのため、言葉のみを頼りにしていると「子どもの声」を聴くことはできないと考えています。
その子が普段どんなことをしているか、どんな夢を持っているのか、どんな趣味なのか、何が好きなのか…等を知っておかないと、その子の声を聴くことは実はできません。
それゆえにアドボケイトがとても重要視されていると言うこともできます。

しかし、これっていわゆる「信頼関係」が成立している、タイミングが適切であることが大前提であるため、非常に難しいのです。

データとして出していくことがとても難しい…

子どもの声を聴くって何?の1つの答えとしては「回答がコロコロ変わる可能性があるよ」ということをしっかり理解していくことだと考えます。
あの時はこうだったけど、今はこうだよ…なんてことがしょっちゅう起こりえるものであると理解することも「子どもの声を聴く」となりえるでしょう。
コロコロ変わっていく中で成長し、大人になった際に「あの時は実はこうだった」というのがデータとして利用できる「子どもの声」と考えることもできますね(大人になってからのタイミングで「子どもの声」が聴けるというのは意外と真理に近いのではないかと個人的に思っています)

2:聞けるのは「人に話をしよう」と思った子の声


子どもの声を聴くって何を考えていく際に、基本声として聴きとれるのは「自分の意見を発信しよう」と思った子のみであるということは忘れてはいけません。
つまり、「無駄」「めんどうくさい」「話したくない」と考えている子の声は基本的に聴くことができないということです。

この点ついつい忘れがちですよね!

聴くことができない子の声をいかに聴こえる状況に持っていけるかの「仕組みづくり」自体が実は「子どもの声を聴く」ではないかと考えます。

3:言葉以外で読み取っていこうとする姿勢


子どもの声は言葉だけではありません。
社会的課題そのものが子どもの声であることも少なくありません。
不登校、いじめ、非行、虐待等それぞれが子どもの声を表現していることもあります。
こういった子どもの声は、身近にいる子や目の前にいる子とは違う世界の声に聴こえてしまう人もいます。
しかし、自分と同じ世界に存在する「声」であることを多くの人が自覚していくことが重要であり、またきっかけになりえます。




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