〈SWITH〉「未来志向の福祉〜地域とつながり、社会を変える〜」 ぐるんとびー・菅原健介さん
お気に入りの雑誌『天然生活』(学生時代からずっと好き)をパラパラとめくっていると、ある記事が目に止まった。神奈川県藤沢市の郊外の団地の一室で、小規模多機能型ホームを展開する「ぐるんとびー」の活動が紹介されていた。
暮らしの楽しみや生活の解像度を上げる雑誌に、福祉事業所が取り上げられる時代になったのかーと嬉しく思う。なによりもこの「ぐるんとびー」の取り組みがすごいじゃない……! 記事を夢中で読んでいると、電話が鳴った。いばふくのリーダー・コバコネからだった。
「明日よろしくお願いします! 13時に会場で。え? 詳細お伝えしてなかったでしたっけ? 明日の講師はぐるんとびーの菅原健介さんです。んじゃ明日ー!」
遊びに誘うようなノリの電話口で伝えられたのは、まさかの事実(詳細をわりと間際に聞くのがいばふく流)。
……やった! ぐるんとびーの人に会えるのだ!
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水戸駅から徒歩10分。会場の三の丸庁舎は、以前県庁として使われていたという歴史ある建物だ。
そんな中で、菅原健介さんの講義ははじまった。
「ぼく、Twitter(現X)で『デンマーク』って呼ばれてるんですよね(笑)」
中学・高校時代をデンマークで過ごした経験は、確実にいまの菅原さんをつくっている。デンマークの文化や人々の考え方をよく知るからこそ、そのエッセンスは「ぐるんとびー」にも反映されている。
「ぐるんとびーとは、デンマークの父とか、近代教育の父と呼ばれるニコライ・グルントビーの名前からきています。牧師だった彼は、教会で『聖書の通り生きなさい』って説教するんじゃなくて、紙に書かれた言葉は死んだ言葉だと言い、生きている人たちと生きた言葉を話そう、とはたらきかけた。競争ではなくて、対話の中から共生を目指したんですね。毎週教会に行って日々の何気ないことや困っていることを話し合うような文化をつくり上げた人なんです。
他にも、自分で考えるためには、自分で情報や知識を得なくてはならないから、そもそも文字が読めないと、得られる情報量が減るので、農村で文字を教えることもしていました。“死んだ言葉”と言いながらもやっぱり文字は大事、と。
牧師であり、教育者、哲学者、詩人であり、歌人であり、最後は政治家にもなったグルントビー。僕らがやりたいことって、この人と同じだよねって。
正しさを固定化させないで、みんなで話し合いながら生きていくっていうのをやりたいねと、ぐるんとびーは誕生しました」
この日の講義のサブタイトルにはこう書かれていた。
「正しさを固定化させず、最適解を更新する」
菅原さんはひとつの事例を紹介するのに、たくさんしゃべった。
これにはこういう考え方もある。いや、そうじゃないことだってあるんですよ。別の人はこんなことを考えた……。それは、正解はひとつじゃないよと全力で訴えているように聞こえた。
「たとえば、今日この会場にいる多くの人が『ぐるんとびーいいね』ってなっちゃったら、やばいと思っています。ある一定数は文句言ってくれないと、『正しさ』が固定化しちゃうから」
***
ぐるんとびーが掲げることばがある。
「地域をひとつの大きな家族に」
ぐるんとびーがある藤沢市の大庭地区。エリアの中で高齢化率と子どもへの支援率が一番高いという。
「団地の中の高齢化率は、80%を超えています。同時に、子どもたちのことも気になる。居場所づくりや学習支援なども行っています」
困った時に助け合える文化を。
それはお互いのことをより知ろうとする姿勢からはじまるんじゃないかと思う。
こんなこともあります、と菅原さんが動画を観せてくれた。
……おばあちゃんが海で浮き輪に浮かんでいる。スタッフの「来るよ〜!」という合図のあと、ざばあ〜ん! と勢いよく顔に水がかかる。
「日常を正しく送ろうとすると、刺激が足りなくて退屈することも。このおばあちゃんは退屈をのぞんでいないとすると……? 刺激を受けるには、チャレンジすることが必要なんです」
そうか。話を聞きながら、自分に置きかえて考えてみる。わたし、おばあちゃんになったら穏やかなやさしい人間になれると思っていた。だけどそんなことはなくないか? 楽しいことを探して旅に出て。いつも刺激を求めているわたしがおばあちゃんになったら、それが急に変わる、なんてことはないのかも。
わたしだって刺激がほしいはずじゃない……?
「この方は、嚥下の関係で普段はとろみをつけて食事をしています。だけど、海に行って顔面に波をざぶんとかぶらなきゃいけない。それがこのおばあちゃん個人のためのケアなんです」
ほかにも、ぐるんとびーを語るうえで大切にしているエピソードがあるという。
「人生の師であり、末期がん患者であり、スイマーであるヤナギダさんのお話です。がんの治療のために入院中、毎日『プールに行きてえ!』と訴えていました。はい、けっこうな頑固爺です。そのときのヤナギダさんの言葉が忘れられません。
『俺は死んでもいいからプールに行きたいと言っているのに、医療や介護はそれを叶えようとしない。それは何のための医療介護だ!?』」
この言葉に後押しされた菅原さん。毎日病院に行き、プールに行き笑みを浮かべるヤナギダさんの写真をベッドサイドに貼り付けて帰ってくるということをつづけた。
いつも怖い顔をして「プールに行きてえ!」と騒いだり、日常的に文句を言ったりするヤナギダさんしか知らない病院関係者たち。写真を見て、こんな顔をするんだ……という発見をする。そして、本人のために退院したほうがいいんじゃないか? ということに。
その次の菅原さんの行動。プールに行き、「死にそうなおじいちゃんがプールに来たいと言っていてですね……」と係の人に説明をした。
「でも今日も高齢のお客さん多いですよね。あそこでゆっくり歩いている方々よりもちょ〜っとだけ死ぬ可能性が高い、というだけなんですよって説明(説得?)をしてですね。最終的に、プールの方々にも『死んでもいいからプールに行きたいと言ってくれる方がいるなんて、初めて知りました』と承諾を得ることができました」
あらゆる調整を尽くして、ついにヤナギダさんはプールへ。
「すると、プールで馴染みの友人たちが声をかけてくるんですよね。『じじい、死んでなかったか!』とか『飲みに行くぞ!』って。ヤナギダさんは『死にそうなんだよ!』とか『もう飲めねえんだ!』と返事をしながら、1時間プールでウォーキングをつづけました」
菅原さんがサポートで手をひいていると、友人が近づいてきて「じじいくらい俺が支えられる。代われ!」と、サポート役を買って出たそうです。
「僕たちは人生の最後にしか関わっていないわけです。ヤナギダさんとご友人のようなやりとりは、僕らには絶対にできない。だからこそ、毎日の“あたりまえ”の暮らしを継続することの大切さを感じた出来事でした」
***
ぐるんとびーは、「主語を誰にするのか」をいつも考えているんじゃないだろうか。
本人のためにリスクを考え、それを回避することはもちろん必要なこと。けれど、そればっかりになってしまうのも「それでいいの?」とぐるんとびーでは考えている。
本人のまわりには、医療や介護、家族や親戚、友人もいる。その人たちが「〜した方がいいよ」というアドバイスが、周りの人たちの“心配”や“困るから”が先に立ってにして「やめなさい」になっていないか?
たとえば、「立つと危ないから座ってください」は誰が主語になって、そう言っているのか?
「『した方がいい』とアドバイスをすることは大事。けれど『させる』に変化していないか。本人の『やりたい』とか『したい』を手伝うことに、より重きをおいていたいなと思ってやっています。でも、僕らも『させる』になっている瞬間もある。僕らの現場でも0は絶対ない。だからこそ注意してやっていきたい」
デンマークには、こんな考え方があるという。
「人には失敗する権利がある」
これを認めようとする文化だ。
菅原さんは、高齢者になって国の制度を利用することになっても、失敗する権利は認められていいはずだ、と言う。
「僕らも人生のなかで、選択してミスることってあるじゃないですか。心地よい暮らしを支えるために、たしかに安全性は大事。ですが、高齢者は動くと危ないからってつき詰めていくと……こわくないですか?」
これを聞いて、すごく安心した。ああ、失敗する権利はわたしにもあるんだ……と。
気持ちが縮こまってしまうとき、萎縮して動けなくなってしまうとき、「失敗をおそれて」が原因になっていることがある。
「失敗しても大丈夫。またやり直せばいい」と思えたら、挑戦もできるし、目の前の「やりたい」を応援することもできる。
失敗はこわい。けれど、「権利なんで!」と思えると、いままでの失敗に対する向き合い方が変わってくるような気がする。
会場で配られた「いばふくスタイル発見シート」のメモ欄に
人には失敗する権利があると書いて、色ペンの丸で囲んだ。
***
講義の最後、心に残った言葉がある。
「介護者は皆、暮らしの専門家だと思うんです」
専門性に特化することで、どんどん暮らしから離れていってしまうと、菅原さんは言う。
暮らしはひとによって違う。それぞれの“当たり前”がある。
だからこそ、一つひとつの暮らし方や考え方に耳をかたむけ、ともに想像する力が必要になる。それが「暮らしの専門家」なんじゃないだろうか。
毎日つづく暮らしをどうしたら楽しめるか、生活の工夫や創意に向かう人々を紹介する『天然生活』(冒頭に出てきた雑誌です)。ここに載っているのは、オリジナルの生活スタイルだ。かっこいいなとか、このアイデアいいなとマネをしたり、自分の暮らしの中でちょっと意識をしたりする。
「正解を固定化しない」というぐるんとびー。暮らしのなかで起こることを出発点にするからこそ、毎日違う日常をサバイブしているんだ。
ぐるんとびーはいまも、何とも違う「今日」を模索しているんだろうな。
text by Azusa Yamamoto
photo by Nobuhiko Kobayashi
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