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半獣人は箱庭の学園で耳を隠す#3 【創作大賞2024】

 慣れない制服の着替えをスピリットに手伝ってもらって、左耳も三つ編みにした髪と一緒にまとめて隠して、わたしは人間の少女のような格好になった。制服の柔らかな着心地が落ち着かないと思いながら、わたしは重い足取りで玄関ホールに向かった。鐘がまた鳴り響いている。
 一歩ごとに痛いぐらいわたしの心臓が鳴る。ふうっと浅くなりそうな息を深く吐きながら進んでいると、角の向こうですでに集まっている人陰が見えた。意識せずに足が止まってしまう。玄関ホールに先に着いていたのは、人間たちのようだった。わたしが着ている制服と同じデザインのジャケットと赤いネクタイ、スラックスを身につけている。
 遠くから様子を見ていると、一人が振り返った。制服を着ていても肩から白衣を羽織っている分厚い眼鏡のヒヤクだ。こちらに気づいてひらりと手を振られたので、観念してわたしも彼らのほうへ足を進めた。

「あ、ワタさん、大丈夫だった?」

 近づくわたしに気づいて、しかめ面で壁にもたれかかっていたリオンが背中を浮かせてこちらに近づいてきた。友好的な表情をしているけど、この人が一番獣人に攻撃的だったから怖い。

「獣人どもはまだ来ていない。このまま来なければ、僕も起きたまま悪夢を見ることはないだろうに」

 きっちりと制服を着こんだガルテンが額に手を当てながら、やっぱり芝居がかった仕草で首を横に振る。その隣で着崩した制服姿のショーターがへらっと気の抜けた顔で笑いかけてくる。

「いないときにまであいつらの話なんてしなくていいじゃーん。あ、ワタちゃん、制服似合ってるね。かわいいじゃん」
「えっと、どうも……」

 怪しまれないようにせいいっぱいひきつらないようにわたしが笑って返すと、こらと咎めるようなリオンの声がかけられた。びくりと肩を揺らしたけど、こつんとその拳が小突いたのはショーターだった。

「あんまりワタさんを困らせるなよ」
「えぇ、俺流の気の遣い方だったのに」

 それなりに人間側で和やかに会話をしていたときだった。
 カツンと重いものが床にぶつかったような音が玄関ホールに響いた。さっきも聞いた、馬の蹄が地面を叩く音だ。振り返ると、同じように男子制服を着た獣人たちがぞろぞろとこちらにやって来るのが見えた。
 ぴりっと毛が逆立つような尖った空気になる。能面のような表情になったリオンがわたしの一歩前に出て、獣人側を睨んでいた。もしかしたら、また争いになるのかもしれない。
 わたしが肩を縮めていると、ぱしんと空気を切り裂く鞭の音が響いた。いつの間にか獣人側と人間側の間に、フロックコート姿のサイリが立っていた。

「全員集まっているようですね。よろしい、それでは食堂へと移動しましょう。さ、こちらへ」

 簡潔にそう告げると、サイリはくるっとコートの背中を向けてさっさと行ってしまう。その背中を追いかけて、獣人側はこちらにちらりとも視線を向けずに行ってしまう。人間側はそんな彼らの最後尾を、警戒しながらついていった。
 食堂には、わたしたち全員が向かい合って座れるほどに大きな長机と赤いビロードの椅子があった。白いテーブルクロスの上には、キャンドル、色鮮やか飾り花、クリーム色の陶器のお皿にぴかぴか光る黄金のナイフとフォークが並んでいる。

「席は自由です。諸君、好きなところにお座りなさい」

 そう言って、サイリは長机の一番端の上座に座った。取り残されたわたしたちは人間同士で顔を見合わせる。問題はどう座るのかということだ。
 神経質そうな蛇がもともと鋭い目をさらに険しくさせて抗議をした。

「まさか、人間ごときと同じ机を囲めと?」

 しゅうしゅうと威嚇のような音を立てる彼に、サイリはそうですよと当然のようにうなずく。

「ここは学園です。同じ食事の席に着くことによって、あなた方の協調性を育むことを目的としています」
「……まさか、私と人間を同列に考えるなどっ――!」
「めんどくせぇ。さっさと座るぞ」

 くわりと大欠伸をしながらさっさと獅子が席に着いてしまった。それで何も言えなくなってしまった蛇は、不愉快そうに足音荒く席に座り、豚と馬も同じく一列になって席を決めてしまった。ということは、人間側も同じく一列になって、獣人側と向かい合って座ることになる。

「……俺たちも座ろう」

 リオンに声をかけられて、人間側も席に座る。わたしがおそるおそる座った端の席の向かいには、馬の彼が座っている。馬の両耳がぴんと不機嫌そうに立っている。
 全員が座ったのを確認すると、サイリがぱんと手を叩いた。

「それでは、精霊の女王の慈悲に感謝して食事にしましょう。――さぁ、食事を並べたまえ」

 サイリの合図とともに、ぱっと豪勢な食事が目の前に並べられる。新鮮そうなサラダボウル、チーズたっぷりのベイクドポテト、とろとろのスクランブルエッグに、たっぷりの香辛料で漬けられたハーブチキン、つやつや脂が光るポークソテー、こんがり焼き目のついたビーフステーキ、ベリーソースのかかったプディング。大皿いっぱい載せられて、取り分け用のスプーンとフォーク、ナイフが添えられている。各自が大皿から自分のお皿に食事を載せるシステムみたいだった。
 獅子は隣の席の豚に声をかけて、自分の皿に盛り付けさせていた。蛇は大皿を自分のほうに引き寄せて、無言でフォークを突き刺している。馬も目の前のベイクドポテトを大皿から一気に半分ほど取り分けている。獣人側は遠慮するつもりなんてないようだった。
 それに抗議しようと口を開きかけたリオンを、ショーターが怯えた様子で必死に止めている。ガルテンは気分悪そうに襟元を緩めて、グラスの水を飲み干していた。

「どれか取り分けてほしいかい?」

 隣の席のヒヤクはほかのことには無関心といった様子で、分厚い眼鏡越しにわたしのほうに軽い調子で声をかけてくる。大皿に手を伸ばして獣人から睨まれることになったらどうしようと悩んでいたわたしは、一瞬迷ってからサラダを取り分けてもらうように頼んだ。いいよぉと軽い調子でヒヤクはうなずく。
 食器のぶつかる音と咀嚼音、衣擦れの音。緊張感のある空気の中、わたしもお皿の上のサラダとついでに取ってもらったスクランブルエッグを必死に口の中につめた。しゃくしゃくのサラダは瑞々しいし、スクランブルエッグもとろっとおいしい。でも、緊張でうまく飲み込めない。早く食事を終わらせたい一心で口をもぐもぐ動かす。
 空腹が満たされて、グラスの水に手を伸ばしたときだった。ばきんと何かが割れる鈍い音がした。はっと顔を上げると、斜め前の席の豚の彼だった。彼が口を動かすたびに、がりごりと固い音がする。その手には、持ち手だけになった金のフォーク。豚の口の端からぽろぽろと金の欠片が溢れ落ちる。フォークを喰い千切ったようだった。

「何て言ったんですか、人間?」
「見苦しい、醜い、食い汚い……。これだから、ケダモノと同じ席になるのは嫌だったのだよ」

 そう口にしたのはガルテンだった。青い顔をしてスカーフを口元に当て、吐きそうだというふうに目の前の豚の獣人を軽蔑の目で見る。まさかの事態に、ショーターがひぃっと小さな悲鳴を上げている。
 豚が苛立ったように残りわずかとなった大皿を引き寄せる。

「残飯を漁るしか能のない人間ごときがっ、僕に向かってそんな口を利くことが許されるとでもっ?」
「貪り喰うしかできないケダモノと違い、人間には美的感覚があるからね」
「こ、この、この僕がぁ……っ!」

 ひくひくと額のあたりの血管を浮き上がらせて豚がいきりたつ。豚の折れ耳が忙しなく震えて、顔を真っ赤にしながらその両腕でがたがたと長机を揺らす。……たしか、豚は獣人の中でも下に見られやすい種族だったはずだ。それが人間からも見下されるのは耐えられないのかもしれない。
 今にも殴りかかるのではないかとわたしが長机から身を引いていると、サイリが声を上げた。

「――そこまで。……満腹感を得られれば、攻撃的な言動も少しは抑えられると思ったんですがね。君たちはまったくもって難しい。きちんと良い生徒になれる理由を付けてあげるべきでしょうか」

 肩をすくめたサイリは、腕を持ち上げてぱんぱんと手を叩いた。瞬間に長机の上に並べられていたご馳走は全て消えてしまう。その代わりに、それぞれの席のまえにスープを入れるような透明なガラスの平皿が置かれていた。目を凝らすとうっすら水が張られている。
 各自、皿に自らの顔を映しなさいとサイリが指示をする。

「そこに、君たちの運命が映る」

 言われるがままそっと首を伸ばす。皿の上にぼやっと自分の影が映った。それが徐々に輪郭を発揮とさせて、色が濃くなり、そしてそこには真っ赤な――

「え」

 血を流して、足が折れて、腕が曲がって、無惨に髪をばらばらに千切れて倒れているわたし自身が映っていた。悪夢で何度も見たような姿。あまりにも鮮明で、生々しくて、恐ろしくて、目が、離せない。わたしがしんでいる。
 誰かが叫んで、喚き散らして、そしてがしゃんと長机が力任せにひっくり返された。そこで、やっとわたしも自分の無惨な姿から目を離すことができた。人間も、獣人も、みんな酷い顔をしている。
 顔の見えないサイリは、誰かにひっくり返された長机を前にしても落ち着いている。優雅に足を組んで座り、両腕を広げた。

「これが君たちの近い未来、運命です。しかし、女王陛下の慈悲により君たちは自分たちの死から逃れる術を手にいれた。運命から逃れたいのなら、良い生徒になりなさい。……さて、これでわかってくれましたね?」

 誰も返事ができない。
 わたしはただ目蓋の裏に焼きついた自分の死に姿を必死で振り払おうとしていた。

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