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『世襲』中川右介

新聞で【竹下登氏の生家 150年の酒造撤退】という記事が載っていました。実は竹下登さんの母は、教員として松江に赴任していた戦前日共の最大のイデオローグである福本イズムの教祖、福本和夫の教えを受けていました。実家である造り酒屋のブランドは「出雲誉」ですが、最初は「大衆」という名前にしていました。その名付け親はもちろん福本和夫から感化された竹下さんの母。

 『世襲』では《田中・竹下・金丸・小沢たちは、激烈な党内抗争・派閥内抗争で資金を使い、権謀術策も駆使し、法にも触れながら絶大な権力を得たが、その栄華は短く、世襲もできない》(p.195)とありますが、同時に、それは田中派的な日本における「共同富裕」の終焉にも重なるな、と。

 企業の世襲篇では、民主的な運営をしようとして世襲を廃そうとすると、川又、塩路、石原、ゴーンとかえって長期独裁体制による停滞を生むんだ日産などの例が紹介されていますが、意図とは逆なことになってしまうのが人の世だな、と。

[第3部 歌舞伎の世襲史]

 本書は政治、企業、歌舞伎の三部構成ですが、團十郎襲名披露もあったので歌舞伎篇から逆に読んでいきました。

 歌舞伎の世襲の最初は團十郎から。初代は元禄時代に江戸歌舞伎を創始し、明治の九代目が歌舞伎を今の高尚な地位に引き上げたので「なぜ市川團十郎は特別なのか」という問いは無意味で「市川團十郎を頂点とする世界が歌舞伎の世界」なのだ、と(p.379)。子役を登場させ、父子共演を始めたのも初代と二代目だというのですから、興業システムも創造したんでしょう。十三代目が襲名披露の十一月も十二月も演じた助六を完成させたのも二代目。四代目は修行講という演劇学校みたいなものも創設、歌舞伎界の統率者になっていった、と。

 そのため五代目幸四郎は2人の娘を嫁がせてまで七代目と縁組しようとしたんですが、離縁されます。しかし八代目が自死してしまい、河原崎家に養子となっていた九代目が堀越家に復縁して襲名。ちょうど明治維新と重なったこともあり、武士が愛した能・狂言は新政府によって弾圧され、幕府に監視されていた歌舞伎が外国の賓客にも見せられる日本の伝統芸能の地位を確立。九代目は実子に継がせることはできませんでしたが、七代目幸四郎が長男を高麗屋悲願の團十郎として十代目を襲名させます。この孫が現・十三代目で《独善的なイメージもある十三代目だが、どこにどんな役者がいるのか、劇界全体を見ており、機を見て抜擢する先見性を持っている。役者の才能を見抜く力もある。團十郎として劇界最高位に立つという自覚があるのだろう》というので楽しみです(p.481)

 このほか、菊五郎は五代目も六代目も「養子をもらった後、妾が子を産む」ことになるあたりも面白かった。しかし、この実子は役者として大成できず、養子の梅幸の長男・秀幸に菊五郎が継ぐことになるのですから、実子相続というのは難しいな、と。

 江戸歌舞伎はシェイクスピアのグローブ座より古く長く芝居を打ち、團十郎は十八番を通じてソフト的パワー、著作権を確立したという意味でも世界の演劇シーンをリードしているのかもしれません。一月にやる十六夜清心などでも、あの内容の芝居を上演出来るのは今の世界でも先進国だけではないでしょうか。

[第2部 世襲企業盛衰史]

 企業編は自動車産業と鉄道産業。

 高度な教育だけが高所得の源泉という認識が浸透し、高度な教育を受けた層だけが集まるような地域ができたりして中間層が瓦解。成功は世襲となっていくという姿に重なっていきます。

 一般的に世襲社長が優秀な可能性は低いので一族企業は社長交代時期に売り抜けが相場のセオリーと言われていますが、そうした悲喜劇を回避する手段は出来の良い婿養子をとる、という戦略が有力だというのもスズキなどでよく理解できるのも企業篇です。また、世襲を否定すると、川又、塩路、石原、ゴーンとかえって長期独裁体制による停滞を生むということが日産などの例でもよく分かります。

 トヨタはあくまで例外、みたいな。

 しかし、トヨタの社史では《豊田一族よりも財界で出世したことが、誰かの逆鱗に触れた》のか奥田の扱いは小さいそうで、なんだかな、と(p.313)。

 《豊田大輔が有名になったのは、2021年3月、宝塚歌劇団の星蘭ひとみと結婚すると報じられてからだ。緊急事態宣言下の5月8日に帝国ホテルで「結婚を祝う会」が約200人の出席者のもとで開かれ、話題になった》というあたりまでフォローしているのはさすがだな、と(p.314)。ちなみに父・章男も大輔もファミリービジネス出身者が多く「教育の質、投資価値、卒業生の年収」を元にした大学ランキングでは全米655の大学中1位となっているバブソン大学の大学院を卒業しているんだな、と。

 鉄道事業篇では東武の根津一族が途中から鉄道経営に携わったとは知りませんでした。子供の頃、根津美術館が近くにあって、就職してからも二代目の根津嘉一郎さんとは知己を得て、よく美術館に泊まって仕事をしているなんていう話しもうかがったことがあります。

 小林一三はその事業を『大衆本位』と言いましたが、戦前「百貨店へ行く庶民がいないのなら、庶民が行ける百貨店をつくればいい」という発想は素晴らしいな、と(p.323)。さらに、東宝グループもつくり、TOHOシネマズは小林一三の「全国百館主義」を原点として小林ブランドを強調しています。しかし、小林公平さんは婿養子だったんすね…息子の公一も一三翁とは似ても似つかない体躯だったんですが、なるほどな、と…企業グループがでかくなりすぎて一族のボンボンでは治めきれなくはなっていますが、公一が社長になれなかったのは男系直系じゃなかったから、ということもあるのかな、とか…。

[第1部 戦後政治世襲史]

 強調されるのは政治家の世襲は戦後のことだ、ということ。吉田茂、岸信介、佐藤栄作、鈴木善幸、麻生太郎、安倍晋三と現首相の岸田文雄と宮沢喜一は親戚で、8人で戦後77年のうち、33年も政権を握っている、と。

 確かに貴族院は廃止され、帝国議会の衆議院議員も反吉田は公職追放となったから、その間に優秀な官僚を議員に育て、その子たちが跡を継ぐ構造だったんだろうけど、戦前の衆議院議員のことをもっと知りたいとも思った(無意味かw)。さらに、小選挙区では公認を得られないと当選が難しくなり、中選挙区みたいな一発逆転の可能性が低くなり、小選挙区で当選をし続けると殿様みたいになってしまい、その利権にしがみついてる周りが殿様をもり立てつつ、若殿も用意するように仕向けるという構造もあるのかな、と。

 最近でも故・安倍晋三元首相の実弟である岸信夫前防衛大臣が長男・信千世氏を後継者として指名しました。岸信千代氏は慶大商学部なんですかね?岸氏は年末に「飲食の提供はございません」というパーティーを会費2万円で開き、その資金は世襲させる際に譲る政治団体に引き継がれるそうです 。中川右介さんは《東大を出ればいいというものではないが、学歴・学力の劣化は出身校リスト(127ページ)を見れば一目瞭然だ》と「はじめに」で皮肉っぽく書いているけど、こうもシレッと世襲されると、こんなことも言いたくなるわな、とw

 あと、他人の飯を喰っていなかったり、企業などに就職しなかったのした二世の政治家はダメだな、という感じがします。

 竹下登氏の生家 150年の酒造撤退という記事が載っていましたが《田中・竹下・金丸・小沢たちは、激烈な党内抗争・派閥内抗争で資金を使い、権謀術策も駆使し、法にも触れながら絶大な権力を得たが、その栄華は短く、世襲もできない》(p.195)とあります。

 実は竹下登さんの母は、教員として松江に赴任していた日共・福本イズムの教祖、福本和夫の教えを受けており、実家である造り酒屋のブランドは最初「大衆」という名前にしていました(現在の「出雲誉」)。名付け親はもちろん福本和夫から感化された竹下さんの母。これは田中派的な日本における「共同富裕」の終焉にも重なるな、と。

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