独自見解・絵を描いた石ころ論
例えば、絵が描いてある石ころが落ちてたとする。とてもキャッチーで面白いし本当に偶然見つけたから「偶然見つけた」と投稿する。でも今の時代はそう謳ってもっとキャッチーなものを捏造して投稿する人も居る。そしてそれをひけ合いに出して"凄さ"が足りないものを嘲笑していく。今そんな世の中だよな。
多分さ、気軽に見れる上気軽にいいね出来る一般ピーポーからしてみれば、面白ければそれでいいんだと思う。それに、それに慣れると、面白みに欠けるものにより面白いものを見れるキャパを邪魔して欲しくないんだと思う。だから言論統制や品定めがある。例えば毒親は昔からそれをする。
だから、そういう世の中に慣れちまった人たちっていうのは、毒親の存在を否定すると思う。どんなに知識があろうがね。だから、キャッチーさがマッチョになるように出来てる。お客様のニーズに応えて整形しまくってたら気付いた時にはもう二度と普通に戻れない化け物になってた夜職人間とかみたいに。
私は毒親育ちだからそういう奴らが大嫌いだ。そして、それが顕著に出る夜職では昔から一定数毒親育ちの存在否定をするクソ客が居た。私からしてみれば存在がクリーチャー。会ってはいけないもの。
そういう奴らを引き寄せないコツは何なのか、長い間考えた。多分、徹底的に組織に属さないか、徹底的に主体性を必要性とする界隈に身を置く事。
一時期私はこの界隈から姿を消したけど、類型界隈は今は旧界隈とは違って発達や毒親育ちに関する事も視野に入れて研究してる人が増えた。おかげでポリコレ気取りが減っている気がする。合計で言えば3年以上は身を置いている。きっと私に合っている。
そして多分、徹底的に組織に属さない事と、徹底的に主体性を必要とする界隈に身を置く事は両立した方がいい。
前者には多分言葉は逆効果だし、後者は言葉を尽くさなくてはいけない(苦ではないからいいけどw)。
多分私はそれ以外の世界では生きられない人間なんだと思う。というか長続きした事ない。