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〚メモ〛おもに詩。たぶん時々エッセイ

 
もう、一年と数ヶ月になるだろうか。
思いがけず火が点き、勢いのままに個人的な詩集を作ったのが今では懐かしい。手元には一冊もない。だからどのような体裁に仕上がっていたのかも、もはや記憶に乏しくなってしまっている。

今でも、ときおり詩を詠む。
そしてたまにふらりと、電子の海に流している。
初めて詩を書き、仕上がったものをさてどうしようかと右も左もわからない時。ネット上にある投稿の場に出会い、不安と緊張のなか、作品とは言い難い未熟な文字の羅列をおそるおそる送信した。
一見、何のことはない。ただの情報のアップロードにすぎない――かもしれないが、その一歩のおかげで、今まで得る機会のなかった新鮮な感動をいくつも抱いたのを覚えている。

それから二ヶ月経たないうちに、冒頭の詩集を制作した。
いったいどこにそんなバイタリティを秘めていたのか、いまだに謎である。その謎の生命力で仕上がった詩集には六十篇、収録されている。実のところ紙の上でしか発表していないものが多くを占め、最近まで忘れ去られていた。PCのフォルダで眠っている彼らに気付いてから、またさてどうしようかと考え始め、辿り着いたのがここだった。
朽ちたバイタリティがいつかふたたび目覚めた時には、またちいさな本として形にしてみたい。だが、そのいつかがいつ訪れるかはわからないので、それまではこちらで独り言のように、ちびりちびりと陳列していこうと思う。

過去には、ブログを一日でやめたことがある。
おそろしいことに、その理由は単純に「飽きた」からだった。面倒臭くなったともいえる。大丈夫かと自分でも心配になるレベルでの斑気だ。しかもそれが一度や二度ではない。こうした悪しきパターンを踏まえ、今回は己に先手を打とうと試みた。
すでに作品は揃っている。既存のものを上げていくだけなら、あらかじめ設定しておけばいい。そうすれば、飽きても忘れても問題はない。意識が旅立っても継続はされる。脳内で開かれた会議の結果、だいたい一日から二日置きにアップされることになった。とりあえず、ひと月に十二作品。もしも新規で何か詠めば、それ以上になるかもしれない。
先のことは、自分にもわからない。

詩のほかにも、せっかくなのできっとなにか、記していることと思う。エッセイのような、日記のような、意味があるのかないのか知れない文字の塊だ。それらもただの情報のアップロードにすぎない。しかし、そこにはたしかに一個人の意思が注がれていて、文字というデータといえど、捉え方次第で一生命の記録ともなりえる――と、断言できるだけの自信はないので、もしかするとそうであればいいな、というささやかな希望に留めておく。

とりあえず、半年は更新が続くだろうと思う。途中で飽きても、忘れても、うっかり死んでしまっても、しばらくは継続されていく。
それ以降は、それ以降に、たぶん考えるだろう。


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