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シャニマスシナリオイベ「それはとても青く。」感想

久しぶりのシナリオ感想になってます、絆光記ぶり?つまりは自分好みの話でした。

!ネタバレが含まれますので、気になる方は読んでから!

考察とかじゃなく感想です。そんなには長くない。


おおまかなあらすじ

 仕事現場、にちかは足を痛めてしまっていた。二週間の休養が必要になる。
 怪我のきっかけになったかもしれないステージ、アイドルフェスへ出場する際、より印象に残るためにと、アクロバティックなダンスを取り入れないかと美琴が提案していたのだった。そのことが原因かもしれない、と一人反芻する美琴。無理はするべきではない、が、パフォーマンスを妥協すべきとは思えない、疑念が彼女を悩ませる。
 にちかの代わりにバラエティ番組に出演する美琴、にちかはそれを見て美琴にダンスコンテスト出場に誘うことを決心する。美琴さんは特別であるということを、知ってもらわないといけないと。一方美琴もバラエティ番組に出ていた局で同コンテストの存在を知る、”SHHisの上手い方として”出て見たらどうかと誘う番組Pに美琴の声は硬い。
 ダンスコンテストにSHHisとしてではなく、それぞれが個人として出場することを決めた二人、二人ともに決勝へ出場する。それを受け世間ではそのコンテストも二人の出場も、良くも悪くも両面で話題になっているようだ。決勝に向け二人は準備を進める。アイドルらしからぬ振付であるという指摘を受けるにちか。一人のステージが久しぶりだからイメージがつかみきれないという美琴。そして二人は決勝の日、廊下で身を削るようにダンスに打ち込む少女と出会う。
 優勝は少女・美琴が二位、ダンスコンテストの結果はそうなった。にちかの思ったような意図にはならず、やはり自分は井の中の蛙であったと表現するにちか。けれど空の青さを知るって言うじゃない、空を見上げる二人は笑顔であった。

アイドルマスターシャイニーカラーズ「それはとても青く。」

感想

”物語”とは

 ダンスコンテストの少女との話でこの物語ということに踏み出してます。これ実のところ00.ctの変則リフレインというか、あの時の疑念に今の彼女たちとしての一つの答えを出してくれているんですよね。私はそれがとても嬉しい。
 ピアノの大会で物語に敗北した美琴、技術の粋ではなく感動の物語に置かれる比重、そんな歪みに対する回答として、『物語はその本人が描いているのではなく、勝手に描かれてしまうものなんだ』という解です。

 あの当時新進気鋭の実力派新人であったSHHisはむしろ技術でもって物語へ挑戦する側でしたが、彼女らの活動が進んでいくにつれ、それは本人たちが望もうが望まなかろうが、外部からは勝手に物語を付与されていきます。実力派アピール、個人活動の狼煙では、SHHisとしてのパフォーマンスの一環……彼女らが出場を決めた経緯は、プロデューサーすらも知らぬ話ですが、見ている人間の中に勝手に物語が組み立てられていく。
 さらに言えば00ct.当時のSHHisに物語がなかったか?といえばそうではない、”ダンスコンテストで優勝した少女”の存在がそれを補強してくれています。彼女はこれから彼女自身が望もうが望むまいが、「下剋上を成し遂げた天才ダンス少女」という物語を付与されていくでしょう。彼女が緋田美琴のような努力によって3歳から削り出すように練習をして得た技術であろうと、世間はあのSHHisに勝った無名の少女として見ます。将来的に控室すらなかった、ということも物語にされる可能性がある。

 人は物語を求めます、アンティーカのシナリオ「ストーリー・ストーリー」における霧子の台詞は名台詞とされていてそれを想起する人は多いでしょう「生きてることは物語じゃない」ある意味でそれを肯定するものとも言えるでしょう。プロデューサーが懸念するのはその選択の先に幸福があるのかどうかです。生きる上で対面する無限の選択の先に、幸福があるのか、笑顔があるのか。そんなスタンスもシャニマスの願いの形の一つですね。
 我々も勝手に物語を見出してしまっているよな、そんなピリッとした自戒を思わせるエッセンスがある物語が、私はとても好きです。

緋田美琴のあい

 今回はある意味で彼女の変化をじっくりと目にするシナリオであったと思っています。
 私ねぇ、多分緋田美琴さんのことものすごく好きなんですよね。ここからのはそういう好きだなぁ~~って気持ちが多分に含まれてると思うので、解釈違いだわにご注意ください。

 彼女の変化を見ると初手で言いました、実際彼女も283プロの歩みの中で変化していっているとはいえ、個人的な感覚で言うと実は緋田美琴さんって昔から本当はこうだったよねと思っています。彼女の中で向ける愛も優しさも真っすぐに彼女らしく表現しているけれど、それを拾い上げる/正しく理解するのが難しいという性質です。
 モノボケを求められた際にレモンに手を伸ばしたのも、彼女の中では無意識でしょうが、にちかとのエピソードがあることが下敷きでしょう。途中で悩む彼女の悩みを払拭することになった昔馴染のダンサー、美琴のエピソードに出てくる業界の知り合いの多くを美琴はきちんと覚えています。
 そしてなによりも一人での出場を向けられた際の硬い声、ここ本当にややさんの演技が良かった。前回のジコメティックエピソードの時もめちゃくちゃややさんの演技がすごくいいって私が興奮したんですが、美琴さんって自分のバラエティの特性のなさへの忠告は素直に受け入れているんですが、その後SHHisとしてじゃない、ユニットから切り分けられた個としての活動を勧められた際に声が硬くなる。美琴さんがその意識があるかは別として、自分は”SHHisの緋田美琴”だという認識があるんですよねちゃんと。
 感謝祭のコンテンポラリーダンスも、今回も、上へ、もっと上へと目指す先が”空”であるというのは分かりやすくもありつつ、けれどある意味で美琴さんらしいかというと、彼女らしくはない。彼女が求めるステージと言うのは往々にして野外にあることは非常に少ないからです。けれどももっと先、もっと上、そんな向上心の高さが彼女の殻、あえて悪い言い方をすればステージへの固執を打ち破った時、それが表れる。彼女の求める高さが表れていて好きですね。

 感情が分かりずらい、というのが一つのキャラ付けだった緋田美琴さんですけれども、その感情が声に乗って分かるようになってきているのは、当然ディレクションもありますし、ややさんの演技力もありますし、そしてSHHisの二人ってどんな人なんだろうというのを、我々がずっと見てきたからこそ滲みだせる感触で、それもまた面白い。

飛べずとも跳べるものたちよ

 「井の中の蛙大海を知らず、けれど空の青さを知る」というのがタイトルとオチに締めくくるに引用されています。この後半、本来は存在しなかったものが後から追加されたものであることも、もはやそれも含め有名ですよね。無知の知、としての前半も深い寓意が込められ単体で成立している慣用句ですが、後者を付け足すことでそれを補強している形になります。
 ある意味では実は正しくない、後からの付け足しであることを知らずに使いたくはないと思う言葉でもありますが、そのことを知らなくとも正しく使うことは出来る。ある意味で知/無知、そしてそれは当たり前のことで、協調と協力によって無知をカバーしあうことができる、という描写に使うにおいては、それが正しく作用しているように思います。
 青い、というのは色だけでなく未成熟であるというのも示す言葉でもあります。彼女ら、SHHisは今が完成形ではなく、まだこれから伸びる。そんな意味も含まれているでしょう。

 カエルに翼はないけれど、空に向かって飛ぶことができる。この翼のない動物、恋鐘やあさひのモチーフとして使われることの多いうさぎもそうです。翼がなくても、空に向かって飛び跳ねる。重力に縛られているけれど、自分の足で跳ねる。
 彼女たちの跳躍の力になりたい、一人のプロデューサーとして願っています。

 シャニマスにも多分翼はありません、必死に跳ぼうとして、無様に地に這うこともあるでしょう。まだ青く硬い、けれども上を目指してほしい、そんな願いも込めて、今後もシャニマスと転んでいきたいなと思っています。

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