99.9%の人間はただのうんこ製造機に過ぎない

過激なタイトルですが、これはYouTubeでひろゆきさんが言っていた言葉にちょっと付け加えたものです。

それで、すごくこの言葉が印象に残ったため、今日は散歩をしながら何度も何度も頭の中で繰り返し吟味していたんですね。すると、なんだかとてつもない開放感、精神の開放感を感じてしまい、すごく幸せな気持ちになってきたんですね。

思えば私には子供の頃から親や周りの人たちに少しでも立派な人間になれみたいな暗黙の押し付けの影響があったように思うんです。

私はゆとり教育の少し前で、まだ昭和の匂いが残る教育を受けていました。当時の小学校にはほぼ必ず二宮金次郎の銅像が立っていて、道徳の授業でこの人は立派な人だと教えられたものです。今考えれば滑稽な話です。

とにかく一事が万事このような変な道徳を教えられて育ったため、大人になってからも少しでもまともな人間になりたい、立派な人間になりたいなどと言う無意識の脅迫観念を持っていた気がします。

昭和時代ならそれでよかったかもしれない。道徳観念を振りかざし、周りを生き辛くし自分も生き辛くしても社会が伸びていただけになんとなく許されてきた。しかし今の時代、立派になりたいなどと言うまやかしは苦しみにしかならない。立派になったとしても何も幸せなどにはつながらない。

自己啓発書を読んだり哲学書を読んだり立派だと言われる人の話を聞いてもさっぱり回答の見つからない問いを常に抱えてモヤモヤとして生きていた気がします。俺は周りとは違うんだといった世間ずれも多少抱え苦しんできたようにも思います。

それがこの表題にある言葉によって全て氷解したような気がします。まさに自分は何なのか、何のために生きるんだろうかなどとくそ真面目に考えたりする人に与えられた現代版スートラではないでしょうか。毒親にいろいろな矯正を受けてねじ曲がって育ってしまった大人にも効果てきめんな気がします。今思えば親によって教えられた事は大方有害であったように思うのです。(とは言え自分も子供にお前はただのうんこ製造機だと言い聞かせる事はできないでしょうが。。この辺はどうすべきかは難しい。)

私はただのうんこ製造機に過ぎない。どんなに偉そうなことを言おうが、多少イケメンだろうが、金を持っていようが、おしゃれをしようが、日々うんこを垂れ流すうんち製造マシーンに過ぎないのです。そして、これを読んでいるあなたも失礼ですがただのうんこ製造機に過ぎない。今日私が外で行きかった人々も国籍は違うが全て例外なくただのうんこ製造マシンに過ぎない。そう思うとすごく気分が楽になって、とにかく我々は皆、同じうんこ製造機なのだと思えて少し滑稽で、また無理しなくてもいいじゃないか、人類みな兄弟さ。みたいな妙な連帯感を感じることができました。

この言葉を常に心に置いておくと、人生がなんだかスムーズにうまく回っていくように思えてなりません。なので、明日から仕事なんですが、このスートラを忘れないで頑張りたいと思います。今回の長期休暇最大の収穫であった気がします。

所詮は皆うんこ製造機に過ぎない。だから何も気負う必要もないし無理する必要もない。みんな仲良くやっていこう。そういうおおらかな気持ちが一番大切ですね。

今日の心の晴れ具合はこんな感じ。

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