おじいちゃんのこと

おじいちゃんが亡くなった。


一昨年かその前に米寿のお祝いをしたから、90歳近い歳だったはず。

持病はなく、亡くなる数日前の夜に体調を崩してそれっきり。

だけど体調を崩した日の昼間は、デイセンターで大好きなカラオケをしていたらしく、それを聞いて少しだけ嬉しかった。



長崎の田舎から上京して大学を出て、内閣府で働いていたおじいちゃん。当時はそんなすごい仕事をしていたなんて、ちっとも知らなかった。



こんな状況だからと、都内にいる私を含めた孫達はお葬式に出ず、地元にいる両親と叔母と祖母の4人だけで見送ることになった。

きちんとお別れができないのは悔しいけれど、お葬式の代わりにここで、おじいちゃんとの思い出を綴ろうと思う。



まだ小学生だった頃、父親の仕事で両親が海外に数ヶ月行っていた時期がある。その間、私と弟の2人は、母親の実家であるおじいちゃんの家に預けられた。

当時、偏食気味だった私たち兄弟は、おばあちゃんが作る味付けのご飯に慣れず、ほとんど食べられなかった。

それを見たおじいちゃんは、母親から私達の好物だと聞いていたマクドナルドを買ってきた。久しぶりの慣れた味のご飯に、私達兄弟はとても喜んだらしい。

その日以来、おじいちゃんは仕事帰りに毎日マクドナルドに寄って、ポテトとナゲットを買ってきてくれた。

本当に毎日。

帰宅する度に「どうだ!」と得意げに、マクドナルドの袋を見せるおじいちゃんの姿を、今でもよく覚えている。

今考えると、すごい甘やかし方だ。

こんな風におじいちゃんは
私たち兄弟や従兄弟を思う存分甘やかしてくれた。

おじいちゃんが亡くなった。

けれど、私も他の家族も絶望するほどには、悲しんではいないと思う。

おじいちゃんは生きている間に、たくさん勉強して、たくさん働いて、食べて、遊んで、思う存分、人生を満喫したと信じているからだ。

だから亡くなった悲しさよりも、お疲れ様、どうか安らかに、という気持ちが強い。


ただひとつ後悔している事があるとすれば、おじいちゃんのお仕事や昔の話を、もっと聞いておけばよかった。

大学時代に外国人に道を聞かれた時に、(自慢の?)英語で案内をしめあげて、その後しばらく文通をしたらしいことや

田舎の両親を東京に招いた時に、両親が迷子にならないように、2人に紐を掴ませて道を歩いたこと

そんなおじいちゃんらしい話を、もっともっと聞かせて欲しかった。


いつかまた話をする機会がきたら、その時こそ、おじいちゃんの武勇伝をたくさん聞かせてほしい。その時を楽しみにしています。

いままでありがとう。



初孫の早紀より

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