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「言葉にできない」が私を突き動かす


先日久しぶりに会えた友人たちがサプライズで誕生日をお祝いしてくれました

言葉にできないほど感動して、幸せで、嬉しくて、感謝してもしきれない、心がじんわりと温かくなりました

いろんな感情があるのに「ありがとう」とか「嬉しい」みたいなありきたりな言葉でしか伝えられないことにもどかしさを感じて

どうにかして少しでも伝えたくて、たくさん言葉にしてみたけれど、どれも十分とは思えませんでした

でも後から「こんなに喜んでくれて、それだけでも嬉しい」と友人が伝えてくれて、気持ちを表現するのは言葉だけじゃないんだ、とも思ったり

抱く感情は言葉にしなければ伝わらないことも多いのだけれど、表情や声のトーン、動き、目、など言葉以外が伝えることも多いんですね

「言葉にできない」は、もどかしい。でも、言葉にできないほどに感情が高まったことは、言葉以外でも伝えられる。伝えたい。
この、どうにかして伝えたいという想いが、気持ちを表現していくモチベーションになっている気がします。

思えば、16歳のときに行ったオーストラリアでも同じような経験をしていて

1週間本当にお世話になったホストファミリーに感謝を伝えたかったのですが、当時は英語があまり話せなくて、コミュニケーションを取るのに苦労していました。にもかかわらず、温かい空気でいつも忍耐強く私が何か言うのを待ってくれて、時には翻訳機を使いながら、コミュニケーションが円滑になるようさまざまな手段を探してくれたこともありました。1週間という短い期間だったにもかかわらず、本当の家族のように大事にしてくれました。

その全ての感謝を伝えたいのに、口から出るのはThank  youだけ。どうしても足りなくて、でも十分に伝えられるだけの英語力は持ち合わせていませんでした。だからこそ、ホームステイのプログラムが終了して帰国してから、自分の気持ちを、言葉に温度をのせて伝えられるようになるために英語を勉強しようって思えました。あれから6年ほど経って、日常会話程度は話せるようになったけれど、今も、やっぱり伝えられないことはある。それは日本語でも同じかもしれません。

「言葉にできない」はひとつの感情なのかもしれない、とも思います。今回みたいに、言葉にできないほどに心が動いたり、感情が高ぶることもあるから。

でも、だから「言葉にできない」をそのままにしておくのではなくて、自分が感じた感情をより伝えられるような何かを探したいです。16歳の時のそれは英語だった。今は、想いをこうして時間をかけて文字に起こし、残すことなのではないかと思います。また、恥ずかしがらずに感じたままに表情などで伝えることなのかもしれません。

「言葉にできない」はもどかしい。でも、いつも私を突き動かしてくれる。

こんなふうに思わせてくれる人が周りにいること、感謝して生きていきたいです。

時間をかけて、少しずつでも伝えていきたいなぁと思います。



この記事下書きのままになっていて、バタバタしていたら書いてから2週間くらい経過していました(焦)

今日も、読んでくださってありがとうございます!♡




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