「大丈夫だよ」と言ってほしいだけ

ドラマかなんかで「否定はしないけどさ…」っていう台詞があったんだけど、否定していることを否定しているのに、ものすごく否定されている気がした、だから今度からは使わないようにしようと思う 実は否定したいんだ、みたいな奥底に隠している心がバレバレなのよね

やりたいことをしているんだけど、なんとなくいづらいコミュニティに自分を無理に押し込んでいる夢を見た。大学の時の自分だ。苦しくて、今にも叫びたいのに、なんでそこにいるんだろうね。夢の外から、「はやく逃げなよ」って、聞こえない声で叫んでいるのだけど、当の本人は必死で耐えてるのよね、何かのために… 今考えれば、途中で投げ出したくなかったって、ただそれだけだった気がするの、本当にバカみたいだった。でもいいんだよ、今は無理して居心地の悪いところにいなくていいって、自分でわかるようになったから。

たまにとんでもなく、このまま生きているのが怖くなる時がある。胸がキュッと苦しくなるので、別の場所に目をやって、違うことを考えているとやがて落ち着いてくるような気がする。もういろいろと随分経つのに、ぽっかり穴が開いたような、まだまだなんとか生きてる感じがするのが妙に居心地が悪い… もうずっとこのままなんだろうか。このなんとも言えない居心地の悪さをわかりやすくするための表現を、最近思いついた。自分のこころを自分から取り出して、紐で結んで引きずり、外で散歩しているような気分。ほんとうはもっと丁寧に扱わないといけないから、地面みたいな硬いものに擦り付けたらヒリヒリ痛むし、傷が付く。でも今はそれを感じてしまうんだ。自分のこころをなぜ、取り出したりするんだろうなってずっとずっと考えているよ。

わたしを外の刺激から守ってくれた薄い膜みたいのはとっくになくなってしまっていて、今は剥き出しで、裸になって戦うしかないんだって思って静かにいつも、恐れている。常に常に、思っているんだ、何にも感じなくなりたいと。毎秒毎秒何かにこころを動かされているのは、やっぱり疲れてしまう。こころだってきっと休みたいと思うんだ。

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