2020年かあ

あけましておめでとうございます、なんだか歳をとるにつれて、年が明ける瞬間が、だんだん特別な瞬間がなくなってきている気がして、もっと特別感を取り戻したいと思いました

さて、今年は去年よりも少しでも明るい年にしたい、と単純だけど思う。もう暗くてメソメソした日々とはお別れしたい。そのために、忘れてはいけないことを今日、思い出しておきたいと思う。「一年の計は元旦にあり」とかいうじゃないですか。忘れてはいけないことを思い出しておいた方が、よくないですか?今日という日に。

今日ふと思ったのが、本当にもうそろそろ「他人にどう思われるのか考えることをやめよう」ということです。「他人にどう思われるかを気にしすぎて、自分のやりたいことをやるべきか悩む問題」。はやくやめたいよ、これ。解決したい。でもあたしには不可能なのかもしれないな、とも思いつつある。結局、他人にどう思われるか考える→自分以外の人の考えを理解しようとするという意味で、重要なのだと思っている→の思考回路が自分のいつものそれなので、時と場合によってその思考はオンとオフを切り替えないと、どんどん自分が生きづらくなってしまうことに気付いたのだった。自分を追い詰めてしまうのだ。

たとえばなにかの社会問題について、何人かと話し合ってる時に、自分とは異なる意見を持つ、他人の立場に立ち、その考え方を理解しようと努める姿勢がないと、議論をするのはやっぱり難しいと思う。ここではオンの思考回路が必要だ。でもでも、自分の人生の決め事なら、やっぱり自分以外の誰にも忖度してはいけないと思った。ここではあの思考回路はオフでいい。意味がない、忖度をする意味が。そこがわからないとやっぱり、人生を一生迷ってしまうかもしれないと思った。

結局自分の人生を決めるのに、誰かに忖度すること自体意味がないのに、忖度したところで全員に忖度できるわけないし、自分と価値観が全く違う人に忖度しても、それこそ全く意味がないんだと思った。どんな決断にもいろいろな側面があるわけだから、見方によっていろんな解釈ができるわけだし、ということは、どんな決断をしても、どうせそれぞれの界隈の誰かに何か言われるんだということは、やっぱり事実なんだと思う。実際に言われてはいなくても、言われる可能性は大いにある。「どんな決断をしても、どうせ何か文句をつける奴がいる」、これって決定的なパワーワードで、これが「だったら、自分の好きに生きた方がよくない?」に直結する。すばらしい。やっぱりあたしの人生だから、あたしの好きに生きた方がいいに決まってるんだ。これでいい。

まず他人の人生に聞いてもないのに何か言ってくる人の意見なんて、聞くにも値しないよね。え、、、何にもアドバイス求めてないのに、なんか勝手にすごい言ってくるんだけど…… みたいな。あたしはあたしの人生を、誰にも忖度しないで生きていこう。誰かに忖度した時点でそれって、もう自分の人生ではない気がするんだよね。

自分の人生については誰にも忖度しないで生きていく2020年、はじめていきたいと思います。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?