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生きる。

わにくんの筆者の方がツイートに「生きる。」って書いてたけど今日はそのことについて書こうかな。まず人それぞれ生きるの定義は違う。

これは確信を持っていえる。

だから俺流の生きるを描くけど俺流の生きるって要するに『感じる』ってことやと思う。ライブ終わった後のあの感動、友達と遊んでる時のあの満悦感、仕事がうまく進んだ時の達成感、バイトや筋トレをしているときに感じる苦痛からの成長感、もちろん女の子との関係に対しても同じことが言えるよな。全部感じてるやん。そんな時俺は改めて生きてるって感じる。

逆に何も感じないときはスマホを触っている時、寝過ぎて時間を無駄にしてしまったって感じる時、タイプじゃない女の子の相手をしないといけないとき、学校で授業を受けている時、いろんな何も感じない習慣っていうのがあると思う。

俺は感じるの2大要素としてドーパミンとアドレナリンが関係していると思う。嘘、ごめん俺じゃなくてジャスティンビーバーが言ってた。でも俺はジャスにここの部分では同意見。今まで楽しかったことが繰り返されると楽しくなくなるのは一定量のドーパミンやアドレナリンじゃ満足できない体になっているから。んじゃあどーやって人生乗り切るのさってなると思う。(今を生きている人たちはね)俺が出せる答えは『燃焼』と『苦痛』だと思う。

燃焼はどういうことかというと多分ほとんどの人がまだ死ねないよね?自分であー俺もう死んでいいやってならないよね?この話は橋下徹がしてたんだけど橋下さんはもう今死んでもいいんだって。簡単にゆうとこれが燃焼俺はもちろんほとんどの人がまだまだ死ねないとおもうだって燃焼してないから、まだまだやれるから。

常に上を目指し続けるその過程で次の苦痛ってのが出てくるんだよ。苦痛って俺からしたら成長と同義語で、昨日も書いたけど筋トレで苦痛を体験した結果には成功が待ってるって話したんだけどそーゆーこと。成功するには毎日の『日課』っていうのが必要でその日課を越えるためには苦痛が伴う。でも人間さっきも言ったけど楽しいだけだといずれそのレベルの楽しいじゃ満足できなくなるのよ楽しいだけで生きていけるのは親が一生遊んで暮らせる資産残した子供だけ、大半はそうじゃないと思う。だからより上の楽しいを追求するために苦痛がついてきてそれを乗り越えようとしている人が初めて俺にとっての生きる判定に入るんだと思う。

3,4日分のブログのネタを今回は暑くなって詰め込んでしまったけど。生きる。っていうテーマはそれほど重要なことだと思う。
俺は今日も生きる。それでは。

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