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いじめられた私がいじめ撲滅の記事を避ける理由

私は小学生、中学生の頃、いじめまがいを受けてきた。

なぜまがいかと言うと私がすべていじられとして捉えてへらへら笑ってきたからだ。あと、自習中に「静かにしよ」って言ってしまうような私の人間性に少々難があったと感じるからだ。

そのいじめまがいを受けた私がなぜいじめ撲滅の記事を意識的に避けてしまうのか、それはそんなに世の中甘くないと思うからだ。

そんな記事のそんな正論で状況が良くなるなら、今すぐにでもいじめは無くなるだろうと思う。しかし、現実はいまだって、いじめられている子は確実にいる。 

いじめられた方は一生忘れません。恨んでます。いじめはダメです。なんて言ったってお話にならない。それゆえ、いじめ撲滅の記事に、心の底から同意することはない。

もちろんいじめはダメです。ということは大事だと思うし、言い続けなければならないというのも理解できる。いじめは犯罪である意識を持たせるようにしなければならないという意図もわかる。しかし世の中はそんなに甘くないのだ。

私はいじめられた小学中学生時代に正論、真面目なことだけでは生きていけないことを学んだ。残念ながら、自習中に静かになんて言ったって静かになるわけがない。

正論だけでは解決にならないし、正論は現実を捉えておらず、実に狂気なものだ。

正論は、いじめはダメだ。周りの人間も見てるだけで同罪だと言う。そんな気持ちのいい正論を言えるのは一度もいじめ受けるだなんて考えたこともない人間だと思う。

私は危害を加えることは極力しないが、いつだっていじめられない、見えないフリをする側に回るだろう。

だから、私は言いたい。いじめはダメだけど、人間社会だからなくならない。耐えて死ぬなら逃げろ。いじめがある場に至って仕方ない、もういいから自分もいじめられない側にいける世界に行こう。

いじめをする人間はそういうものだとして、私たちだって生活がある。私たちとして生きるしかないのだ。

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