【ある子が身につけた「常識」からの気づき】
ある子がこんなことを言ってきました。「大学は行かなくちゃならないところ。だって今学校に通っているから」
これは小学校低学年の子が言ったことで、はっ!と思わせる言葉でした。その子はさらに続けて「だけど、彼女は学校に通っていないから、どうかわからない」彼女とは、うちのこどものことです。
私は、なぜ大学に行かなくてはならないのかをもう一度聞いてみました。すると、答えは「だって学校に通っているから」
私は「学校に行っていても、大学に通うかどうかは選べるよ」というと、その子は
「そうなの?じゃあ、こんなことがしたい」と話し始めたのです。
さて、これはどういうことでしょうか。学校教育の"終着点"が「大学」に前もって設定されているのです。
この子の想像を止めていたものはなんでしょう。
本来のこどもの想像力は、いうまでもなく絶大です。いい意味で「常」となった「識」、常識がありません。
この子の想像を止めていたものは「大学は行かなければならないもの」という「常識」でした。大学進学は選択であると聞いた途端に、考えがぱ〜〜と広がったかのように話しだしたのです。
無意識のうちにこどもが身につけた「常識」
そんなことを大人は言っているつもりはないと思います。しかし、結果的にそう思わせた何かがあったのだとすれば、接する大人も振り返ってみる必要があると気づかせてくれた出来事でした。
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