見出し画像

嫌いも好きもマルッと含めてわたし

わたしのいいところは
照れ臭くて言えないのに
わたしの嫌なところは
ここぞとばかりに言えるのは
どうしてなんだろ…と
今朝ふと思った。


いいところって
いっぱいあるはずなのに
スッと出てこないんだよねぇ…


その代わりに
嫌なところは
どんどん出てくる…


不思議や…


欠けてるところに目がいきすぎるにも
ほどがあるやんって
思って笑えたんよね。


自分のことをすごいと思ったら
あかんって感じてるんかもしれんなぁ。


自分のこと
自画自賛して
本当はそうじゃないときに恥ずかしいから
傷付く前に言ってしまうんかもしれんなぁ…


わたしよりすごい人いっぱいおるのに
自慢するなんて恥ずかしいんかもしれん…


傷付くのが怖かったり
誰かと比べて劣ってるのに褒めてるのが
恥ずかしいっていうのが
強いんだわ、って思う。


卑下するのも
結果的に
自分を守るため、ではあるけれど
その前に
自分で自分を傷付けてる。


それって
本当の優しさなんやろか?ってね
感じる。


わたしのことを
わたしは守りながら傷付けてるって
変だよね。


そう思った時
嫌いな部分があっても
「そういうわたしも素敵なんだ!」って
受け止められたら…


ダメなわたしや
嫌われるような部分をもつわたしを
恥ずかしさどころか
逆にすごくないですか!?って紹介する
もう一人のわたしが居るイメージをすると


なんかこう
安心、しあわせ、愛されてるなぁって
思う。


その感覚を
わたしがわたし自身に
味わわせてあげたいなぁと思う。


嫌いな部分も
裏を返せば
いい部分。


逆に
いい部分も
裏を返せば
嫌な部分。


紙一重だものね。


そんなわたしを受け止めるだけ。
「そういうわたしもいる」って
受け止めるだけで
心がとても穏やかになるもんなんだって
感じてる。

この記事が参加している募集

#私は私のここがすき

15,771件

#今こんな気分

76,880件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?