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わたしの思う丁寧な生き方

すごく久しぶりになりました。


何かを書こうと思っても
つい
いい恰好をしそうなわたしが出てきて
文が嘘くさく感じて
どうも書けなかった、という。


誰かに認めて欲しい
すごい思われたい


そんな欲求は
常にわたしの中にあるんです。


外側からの
承認が
とてもパワフルで幸せだと
長年思い込んできたから、余計なのかな?


本当は 


“じぶんが自分自身を
このままでいいんだ
これがいいんだって認められることが一番いい”

それを知ってからも
時々出てくるんですねぇ(笑)


もう
これは癖なんだろうな。


とはいえ
癖だと言えるまで
成長したなぁと
じぶんをほめておこうかな(笑)♡

で、
そんな風に癖が出る時
必ず
もやっとします、心が


なーんか
サイズの違う服を着てるような、
違う学年に混ざってるような、
なーんか違和感的な
《もやっ…》を感じる…。


前はこの
《もやっ…》すら感じなかったから
ずいぶんと
私自身を大切にできつつあるんだなぁと思ったりもするんですが♡←またじぶんを褒めるwww


その
もやっ…が出た時
これは私という基軸から外れてる
んだな、と
思うようになりました。


そして
基軸からずれてる理由を
見つけるまで
動かないってことを
やっています。


これは私流なんだけどね。


ずれたまま動くと
行きたくない方向に
自分をいかせてしまうだけでなく
自分の気持ちに嘘をつかせてるような感じになって
しんどくなるのがわかったんです。


だから


書けないときは
書かなくてもいい


そのかわり
書きたい!伝えたい!
これが誰かの役に立てば
私の悩みも最高の幸せや!って思うことが
出てきてから
書くようにしよう、と思って。


「かけなくても
とりあえず書いてしまえ!!」
って時って
見事なほどに
その時の感情みたいなものが
文章に上乗せされてるように感じるんだもんなぁ。


こんな小さなことからでも
自分を大切にできるなんて
数年前のわたしは知るよしもなかったなぁと思うと
自分の成長を私が喜べることが
自分満たしにも繋がるなぁって感じてます。

自分の変化を褒めながら
自分の違和感を無かったことにしない


それが丁寧な生き方の一つな気がしてる最近です。

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