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安心したかった。ただそれだけ。

ただ 
安心したかったんだ
なぁ…と
メンターさんと話していて気がついた。


誰かと一緒にずっといたいとか
すごくなって見てほしいとか  
お金儲けたいとか 
人気者になりたいとか
いいお母さんでありたいとか…


なんなら愚痴を言う時ですら。


「わかるよ、わかる」  


「同じだよ、そうやんなぁー」 


「大丈夫やで、みんなそう思ってるで」 


そんな言葉をかけてもらって
安心したかったんだ。


「あぁ、このわたしでいいんだ」って
安心したかったんだ。


自分を信じたかったんだ。

看護師を辞めて
自分で事業をすると決めた時も
誰かと違うことをするわたしでありたかったのは
安心したかったからなんだろう。


このわたしでも大丈夫なんだ!って。


でも
うまくいかなくて
悶えて苦しんで
わたしはこの仕事が向いてますか?って外に答えを求めた時も


「そうそう、大丈夫」
「みんなそうなるけど、続けたらいいよ」
っていう
安心するための言葉を求めていたもんなぁ。


結局
わたし自身が 
「大丈夫だ」と思いたかったんだ。 


信じたかったんだよね、わたし自身を。


つまり


【安心】を 
ずっと誰かに求めてたのは
わたしを信じられなかった
から、とも言える。


でも 
今、だからわかることなんやけど
その【安心】を
外に求めてばかりいる時は
安心するけど疲弊してしまう【安心】
だったんよ。


だって外に安心を求めても
望み通りの【安心】がもらえるかもわからない。
その【安心】をもらうために
自分の望みを見失うこともある
ものね。

最終的にわたしが行き着いた答えは


わたしが
【今、この瞬間の自分】に 
安心できたらいいんだ
ということだった。


わたしが 
過去のわたしを含めて 
いろんなことやらかしてきたわたしであっても 
可愛いもんだと笑って受け止めることができたら 
安心できる。 


過去のわたしのような息子を見ても 
まぁ何とかなるよね、 
必要な経験を積むんだろうと 
見守ることができるんだろう。 


わたしと同じ悩みを持ってる人を見ても
きっと大丈夫だって
見守ることができるし
なんなら
「ほらみて!大丈夫やでー」って
気付きを促すこともできるだろう。


安心って力は 
すごく大きい。 


そこから愛の渦を生み出す気がする。


信じる
信頼する
安心する


それは
全て自分で最後は生み出すもので
自分の中でそれが満たされたら
必要な人たちに流れていくものなんだろうなぁって思うんだ。

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