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不完全だからいいのかもしれない
不完全
これは
完璧を目指していたわたしからすると
とても嫌な言葉だったんだぁ。
ちゃんとしてない
足りない
劣ってる
そんな
不足して役に立たない
欠けた存在のような
感覚でしかなかったんだなぁと思う。
だけど
それは本当にそうじゃないかも、って
気付くと思えるようになった。
多分
欠けているダメなわたし
不完全なわたしであっても
愛されているし
必要とされてることがわかって
そして
私自身も
その欠けているところや不完全なところを
愛おしいと思える瞬間が増えてきたからなんだろうな。
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「不完全だから
誰かの気持ちがわかる気がする」
「不完全だから
誰かに助けてもらった時の
ありがたさを感じるんじゃないかな」
「ひとりでは生きていけないように
みんなそれぞれ
できることと
できないことを持ち合わせて
生まれてきたんじゃないかな」
気付けば
そんな風に捉えるようになった。
だから
どうやったって
無理なこと(不完全なこと)は
ひとりでどうにかしなくていいんだろうなって思うようになった。
これは
依存とはまた違う
共存という感覚な気がしてる。
だから
不完全だけど
完全なのかもしれない。
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