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現実は3次元ゲーム

あらゆる事象は中立で影響力を持っていません。

私たちは、エゴの色眼鏡で、良い悪いだのとレッテルを貼っているだけです。

レッテルは固定観念となり、自分の行動を制限し、息苦しくなります。

外側の現実には何の影響力も無いのに、自分で現実にネガティブなレッテルを貼るので、レッテル通りに現実がネガティブに振る舞うのです。

そう、自作自演なんですよー

レッテルを貼っているのは自分なのだから、自分に都合良く張り替えれば良いと言うのが3次元ゲームで高得点を取る方法です。

レッテルを剥がして在るがままを受け入れるのが目覚め。

ログインしたままでいるのか、ログアウトするかの違いですが、いずれにせよエゴのネガティブな色眼鏡を外すので生きるのが楽になります。

全ての出来事に属性が無いとは、全ての出来事が等価値だと言う事です。

ここですかさずエゴ登場で、「これは良い出来事」「あれは悪い出来事」とレッテル貼りを始めます。
そして自分の首を締めるのです。


そして、全ての事象が等価値なので、真の自己にとってはどんな些細な経験も貴重なのです。

エゴは頂上に到達する事だけを目指すので、登山道を全く楽しめません。

脇目も振らず一心不乱に登って行きます。

休憩すら無駄だと考えているので苦しいばかり(;'∀')

漸く登頂に辿り着いたとしても達成感を味わう暇さえ無く「この山は制覇したから次はあの山に登らねば」と言って急いで下山し始めます。

勿論、景色を眺める余裕は皆無で、気持ちは次に登る山の事でいっぱい

そして次の山頂に上り詰めても嬉しさは感じず、そのまた次に登るべき山に気持ちが飛んでいます。

就職山、昇進山、結婚山、新車購入山、マイホームの頭金山、子供の名門校入学山、老後の資産形成山、、、人生がやっつけ仕事になっているので常に追い立てられています。

全ては自分で蒔いた種、自業自得ですが苦しいです。

エゴが「この体験は必要」「この体験は不要」とレッテルを貼り、必要と認定した体験が極僅かなのに対し、不要と認定した体験が殆どを占めているので、レッテル通りに人生が無駄になっているのです。

だから頑張っても成果が上がらず努力は報われません。

自分で無駄だと決めているので、無駄を証明する現実を創造するのです。

解決策は、エゴのレッテル貼りを止める事です。わざわざ自分を苦しめるレッテルを貼り、自分を苦しめる現実を創造するなんて馬鹿げています。

そんな所に労力を使うから疲れが抜けないのです。

四六時中、自分を追い立てているからです。

いちいち「これは良い」「あれは悪い」と裁かない事です。

疲れるだけです。

しかも、その良い悪いの基準が如何に信用ならないかは既に述べた通りです。不毛の上に不毛の上塗りをしているのだから、しんどいに決まっています。

今すぐに止める事です。

私たちが3次元世界に転生したのは、ただ体験をする為です。

エゴからみれば取るに足りない体験も、真の自己にとっては非常に有益なのです。

その為に、わざわざ3次元に生まれたのです。

せっかく物理次元を体験出来る機会を得たのに、エゴが切り捨てているのです。

もったい無い話です。

死んでから後悔し、再び転生するのを何百年も何千年も繰り返し、それを輪廻と呼びますが、自作自演に気付けば輪廻は終わり、それを解脱と呼びます。

簡単な事なのです。解脱とは決して遠くに有る訳では無いのです。

エゴが勝手に手の届かない所へ押しやり、輪廻のエゴゲームを続けているに過ぎません。

そもそも解脱や悟りが難しい事なら説法は存在しません。

誰にでも門戸は開かれているのです。

その為の方法が「今に在る」「手放す」等、膨大な教えやメソッドです。

毎日を蔑ろにせず、行動の1つ1つを丁寧に行う事です。

なぜなら、それこそ私達が求めていた体験だからです。

小さな体験1つ1つが貴重なのです。

小さな体験の積み重ねが人生なのです。

貴重な人生は、小さな体験を大切にする事で得られるのです。



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