私たちは、 そもそも何でも「できる存在」
私たちは、無数にある「できないこと」を「できる」ようになったことだけを「できる」と認識しています。
でもそれって本当なのだろうか…
「私たちは、そもそもは、神さまだった」という視点からみると、私たちは、ベースとしては、「できる存在」なのです。
自分がわざわざ、「できない」と決めつけたことだけが、「できない」能力状態になっているのです。
実際の話しで、あるとき、突然「英語が分かるようになった」人がいます。
この事例では、「英語は分からない」という認識があったから、
英語が分からなかった、のであって、
「英語は分からない」という認識が、ある時、突然に(何らかの理由・事情で)、消えた・無くなった…そして英語がわかるようになったということです。
そんなの作り話だよーと思う方も少なくないと思いますが、わたしはこの話しを知った時、不思議と信じることが出来たんです
「英語が分かるようになった」のは、「英語が分かる」という能力を獲得したからではなくて、
「英語が分からない」という認識・決め込みが無くなったからだと捉えています。
「元々は、英語が分かっている」のに、「分からない」と認識することによって、分からない状態になっていたのです('◇')ゞ
私たちは、「そもそもは、何でもできる存在」であることを知るだけで、心がワクワクしてきませんか?
いいですか。もともとできる存在なのに、できないと決めたことのみ、できないようになっているのです。
わたしたちは、どれだけ多くのことを出来ないと決めつけているのでしょうか。もったいないですよね。
努力に努力を重ねて、出来るようになったことも多々あると思いますが、もともと出来ることだったのです('◇')ゞ
きっと神様は、地球での人間体験ゲームとして、そのようなことを採用したのかもしれませんね(^^ゞ
できないことが当たり前であって、だからこそ、「できる」「できるようになった」ことに、喜びを感じて、そこに、価値を見出してきたのでしょう。
今日からは、できるのが当たり前なんだ!と見方を認識を変えてみてみませんか。
「できる」のは、特別なことではなく、平凡な事なんだと…
そして「できない」こそが、珍しく、非凡であると…
これからはそんな捉え方してみませんか?
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