忘れてしまいがちな相手の存在
昨日、軽く自己紹介をしただけの文章だけど、たくさんのスキをいただきました。
正直めちゃくちゃ嬉しかったです。
今まで独りでコソコソと書いてきたエッセイは、否定されるのが怖くて、誰にも読ませてきませんでした。それでも十分楽しめていたつもりだったけど、そういう文章は読み返すと、単調に一人語りしていて、あまり面白くないことが多かったです。
でも今は、読んでくれる人が確実にいて、その人達に向けて書こうと思えるようになりました。
僕はここ最近まで、「しんどいのかしんどくないのか分かんない。このよく分かんないことがしんどいのかな。もうとりあえずしんどいってことにさせて。」って感じの調子でした。
こういう人達が世の中にいるのなら、まずはその人達に一旦悩みを忘れさせてあげられる文章を書きたいなと思っています。
「こんな世の中大嫌い」とか、逆に「今超幸せ」っていう人達の気持ちは分からないけど、少しでも多くの人に喜んでもらえるように文章を書きたいです。
さて、皆さんは「相手の存在」をどこまで見れていますか?
心に余裕があればいくらでも「相手」を見て行動するけど、少し気を抜けば、すぐに視野が狭くなってそれが出来なくなる。
僕はこんな経験を何回もしています。
そういう時は、気付いたら他人の些細な言動にイライラしてしまったりもします。
こういう状態に陥るのはどうしてだろうと考えた時に、「相手の存在」を意識できていなかったことに気づきました。自分の価値観からはみ出る人達を受け入れる余裕が無かったなと。
ほんの一歩相手の立場で考えてみたり、相手を知ろうとすることができたら、僕たちはもっと笑って過ごせるのかなと思います。
僕もエッセイを書くときは1人だから、どうしても「相手の存在」を忘れがちになるけど、読んでくれる人をできるだけ意識して書いていきたいです。