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備忘録 Vol.3 不安と闘った、頑張った

入院と手術の記録。

5月29日

朝9時過ぎにマンションの前にタクシーを呼ぶ。
自宅からタクシーを使わなければならない状況なんてこれまで一度もなかったから、
タクシーの予約から初めてだった。

外を見ていたらあっという間に病院に到着。
始発の新幹線で東京に来てくれた父親と合流して、入院手続きを終わらせる。

病室に入ると、複数の看護師さんが入れ替わりで来てくれて、
薬や飲食の制限について、丁寧に教えてくれる。

食後に飲んだ薬の空を所定の場所に入れておくと、
「お薬飲んでくれてありがとうございます」と言っていただけた。

薬を飲むことが全く苦じゃないから難なくいくらでも飲めるけど
もしかしたら薬が苦手な人からすると毎食後の薬は大変かもしれない。
それを飲ませないといけない薬剤師さん、看護師さんはもっと大変だ。

迷惑かけたくないから、何事にも従順でいたい。

ベッドに横になると、すぐに眠くなる。
本を読んで、寝て、読んで、寝て、の繰り返し。
こんなに怠惰で、無の時間を過ごしていていいのかと不安になる。
看護師さんに対して申し訳なくなる。
この数日間だけは、許してください。

病院食はお昼も夜も美味しかった。

noteを久しぶりに投稿して、
また本を読んで、眠りについた。

5月30日

手術当日。

前日の18時に夜ごはんを済ませてから、何も口に含んでいない。
でも何故かお腹は空いていない。

水分も朝の8時以降は含んではいけない。
だめと言われると余計に飲みたくなってしまう。飲まないけれど。

9時前。何故か緊張していない。
これから病室を移動して点滴が始まる。
前日から点滴の話がされていたが、
なんのために点滴があるのかいまいち分かっていない。

ちょうど今、院内放送で「ごみゼロの日(530)」の説明が流れた。
そうだ、今日はごみゼロの日。
院内放送で伝えてくれるなんて、優しい。

友人や家族が連絡をくれる。嬉しい。
私はこんなに優しい人たちに恵まれていいのだろうか。
ありがとう。言葉のちからってやっぱりすごいなぁ。

11時。流石にお腹すいた。
9時半ごろから点滴繋がれていて、右腕が地味に痛い。いつまで繋がるんだろう。

11時半。病室から手術室に移動。
名前とか手術する部位とか口頭で確認し合って、早々に手術の台に仰向けになる。
麻酔がかけられる。腕が痺れる。
だんだんと瞼が重くなるが、目は開けられる。
目が合うのが気まずかったから、目を閉じた。眠くなる。
全身麻酔ってこういうことか。

目が覚めたのは15時か16時頃だらうか。
意識はあるが、思うように目が開かない。まだ麻酔が効いているのか、眠たい。

しかし、それ以上に内部の激痛が私を襲う。苦しい、つらい、痛い。
どう表現すればいいのか分からない。

生理痛を10倍にして、その痛みを伴いながら内側から蹴られているような気分。

痛み止めの点滴を流しているが、すぐには治らない。
こんなにも痛みで涙が溢れ出るのは小学生ぶりだろうか。
「い゛ーだい゛ーーーー泣」と病室中に響き渡る声で泣いていた。
左の卵巣の周辺から、肩にまで痛みが及ぶ。
なんで肩?と思うくらい左上半身が痛い。

術前より術後の方がつらいだろうと、これまでの通院で薄々勘づいていた。遥かに超える痛みだった。
個室の病室で本当に良かったと思う。
遠慮なくナースコールを使う。ごめんなさい。

3度目の点滴で、ようやく落ち着いて、浅い眠りについた。
まともに話せるようになってから看護師さんに尋ねたときは17時だった。
人口呼吸器が繋がれていたから、喉が痛い。
咳払いをしようとすると傷口と内部が痛む。最悪だ。

18時頃、東京で仕事を終えたの父親が来てくれた。
家族の安心感は本当にすごい。
手術直前まで、術後に別に来なくても大丈夫だろうと思っていたが、来てくれなかったらこの痛みを1人で抱え込む孤独感でもっとつらかったと思う。
父親との会話はいつも通りで、笑いがすぐに起きる。笑うとまた痛む。
笑わせないでよ、と言いながら、そんな時間がとても幸せだった。

無音だと寂しいからテレビはつけっぱなし。
かまいたちの濱家が好き。大根おろしてる。かわいい。
濱家が美味しそうにご飯を食べてるだけで幸せだ。
点滴だけでもご飯を食べた気になる。

20時半。やっと4度目の痛み止めの点滴。
看護師さんがお水を飲むサポートをしてくれたり、顔を拭いてくれたり、
人柄も良くて、ただただ優しかった。

22時就寝。すぐに4回目の痛み止めが落ちて、
寝る前に5回目の痛み止めの点滴を入れてもらった。
それからも1、2時間に1回は目が覚めて、まだ寝てないといけないのか、と動けない体のつらさを痛感する。
寝返りしようとすると痛いし、起き上がることも痛い。
できれば何もしたくない。けれど、腰やお尻が痛い。

5月31日

6時過ぎに起床。
お水を飲ませてもらって、今日からは痛み止めの薬も飲めるようになった。
起きてるだけで痛い。
当日に観れなかったオンライン講義の配信を観て、コメントシートを提出。
なんでここに来て勉強しているんだ私。
兎にも角にも提出期限に間に合ってよかった。
公認欠席の証明をしないといけないならさっさと提出した方が早い。

10時半、点滴が外れて、尿の管も足の着圧のストレッチャーも全部取れた。
歩行練習。起き上がるのもつらかった。
看護師さんにつかまって、起き上がる。
お腹に力に入れるだけで全身が叫びそうになる。
とはいえ、起き上がらないわけにはいかない。
あらゆる場所につかまって、病室の外まで歩いてみる。無理、無理。
こんなに痛い思いしてまで歩かなくていい。
そう思いながらベッドに戻る。
呼吸するだけでも、呼吸を止めても、傷が本当にいたい。

12時。2日ぶりのご飯。お粥や煮物など、やさしいものから。
けれど、思うように進まない。45分ほどかけてようやく完食。
痛いだけでこんなにも食も進まないのか。かなしい。

13時過ぎにベッドから立ち上がってみる。痛すぎる。すぐ戻る。
肩の方までまた痛みが走って、痛み止めをもらう。いつまで続くんだろう。
少し服を捲って傷口をみる。痛そう。

どうして私だったんだろう。

痛みから逃げるために昼寝をする。
本を読んでいたが、能動的な行為には体力がいる。
動画や音声コンテンツの方が受動的に得られるからとても楽だ。

気づいたら18時。
さっきお昼ご飯を食べたばかりなのに、もう夜ご飯が運ばれてきた。
大好きなかぼちゃの煮物がある。嬉しい。
傷口の痛さにも慣れてきて、痛いまま起き上がれるようにまでなった。相変わらず立ち上がると肩まで痛くなる。

歯を磨くために洗面所まで歩く。たった5メートルほどだが時間がかかる。

22時。さらに痛み止めの点滴を追加する。
10回以上はもう続けている。薬を飲んでも飲んでも痛い。
和らがない。さっきから「痛い」という文字ばかり打っている。

6月1日

4時半までぐっすり眠れた。
それから6時半まで二度寝。洗面台まで歩いてみる。
つかまりながら、昨日よりはスムーズに歩けている。
痛みも、痛いけど、少し減った。

疲れてないのにご飯の量が多くて、常にお腹がいっぱいだ。

痛いから、寝る。起きたらもうお昼ご飯だ。
食べ終わったら内診に呼ばれた。頑張って歩いた。
無事に2日後には退院できるらしい。
この痛みは退院しても続くのだろうか。
あの、東京の人混みをこのペースで歩くのだろうか。
摘出した嚢腫には髪の毛と脂肪の塊が5センチほどになっていた。
人間の機能って恐ろしい。

14時に友達2人が来てくれた。
先週会ったばかりなのに、なんだか懐かしく思えた。
この数日間の孤独感は長く感じた。

忙しいのに、プレゼントやお土産を持ってきてくれた。
こんなにやさしい友達を持っていていいのかな。
たくさん恩返ししていきたいな。いつも受けてばかりで、何にも返せてない。
本当にいつもありがとう。

診断書をもらうために、エレベーターに乗って一階まで降りる。本当に2日後に退院出来るのか不安なくらい、歩くのがつらい。

歩くと肩が痛くなる。

なんだか元気で眠れなさそうだったが、21時過ぎに目を閉じると、すぐに眠れた。

6月2日

4時半に起床。目が覚める。
二度寝して6時半に起きる。
血圧を測ると連日朝が低い。朝は強いのに、血圧は低いらしい。
日頃からよく起きてるよ、私。

朝ごはんを食べて、読書。
連続殺人事件の小説で、ページを捲る手が止まらない。
眠くなったら寝て、また続きを読んで。
久しぶりに単行本で長い小説を読んでる。

日勤の看護師さんが来て、傷口のテーピングが外れた。
おそるおそる見てみる。
痛そうな傷口が4箇所。
みるだけで痛む。

お昼ごはんを食べて、3日ぶりにシャワーを浴びる。
まっすぐ立つだけで痛いから、お腹に力がなるべく入らないように、腰を曲げて浴びる。
ドライヤーも立ちっぱなしだから、かなり疲れた。
けれど、全身の汗が流れてとてもすっきりした。

小説を読んでまた寝ていたら、いつのまにか16時。
母親が来てくれた。やっぱり安心する。変わり映えのない、いつもと同じような話をして、笑って。
2、3日は東京にいてくれる。
夜勤の看護師さんが来てくれて、昨日の日勤の看護師さんと同じだった。
とても優しくて、話しやすくて、また会いたいと思っていた看護師さんだった。
嬉しい。

小説を読み終えた。連続殺人事件の小説で、病棟で読むべきではなかった。
想像するだけで鳥肌が立つ。久しぶりに小説を読む時間がとれて良かった。
自宅療養中はなるべく読むこと、書くことに時間を使いたい。

これから


明日で退院する。普通の生活に戻るにはまだ時間はかかりそうだが、自分のために時間を使ってあげたい。
休むことに罪悪感を持たない。今は、休んでいていいんだ。

しかし、なんで私だったのだろう。

これまで病気なんてかかったことはなかったし、昔に比べて、体はちゃんと大切にするようになっていた。
今回の卵巣嚢腫は原因は解明されていないらしい。
気にかけなかったら気づかなかった。

特に学生なんて、親に言いたくないこと、周りに相談できないようなこと、
たくさん抱えていると思う。

責任を1人だけでは負えないからこそ、もっと抱えようとする。

私が生理が来ない不安を抱えて、婦人科に行って病気が分かってから約半年、
本当に、不安はお金で解決するしかないと思った。

生理が遅れている、なんでだろう、妊娠は考えられないし…

婦人科に行けば、なんらかの理由はわかる。
セカンドオピニオンで別の病院に行ってもいい。

ネットで調べてあやふやな情報を鵜呑みにして不安を募らせるなら、
お金を払ってでも、専門の医師の言うことを信じておいた方が、揺るがずに済む。

あと何日、何週間待てば生理は来るかもしれない、などと
自分の体に期待して、待っていたが、
不正出血ばかりで、結局すぐに生理が来ることはなかった。

おかげで今回手術をした卵巣とは別の卵巣にも病気が見つかっていて、
それは手術をして治るものではないから、
これから時間をかけて、大切に扱っていきたい。

自分の体は、本当に、自分にしか守れない。


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