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植物と向き合って学んだこと

2ヶ月ほど前、私がバイロンで出会った友人の一人から、植物を頂きました。正確に言うと、植物を預からせてもらいました。その友人は8月中に日本に一度帰国しなければならず、植物は持ち帰ることができないため預かり手を探していました。そして彼女もまた、その植物をある方がバイロンを離れるタイミングで譲ってもらっていました。私はその初めの植物の持ち主について、彼女からよく話を聞かせてもらっていたのですが、彼は彼女に人生を振り返るきっかけをくれた、とても思い入れのある方とのことでした。つまりその植物は彼女と彼の思い出そのものであり、彼女にとって遠くにいる彼を感じさせてくれるものの一つでした。そして私はそのような大切なものを預からせていただくとという、素敵な機会を与えてもらいました。

私はもともと、植物を育てたりケアしたりするのがとても苦手です。気づいたら状態が悪くなって、適切な対処法が分からず枯らせてしまったこともあるので、長い間植物を育てたいという気持ちも湧きませんでした。しかし、その友人から預かり手を探しているという話を聞いたとき、シンプルにそれがとても美しかったから、そして今なら私も植物を気遣うことができるかもと思ったから、預かってもいいですかと手をあげました。私が植物ケアに対して苦手意識がある話を彼女にしたら初めは悩んでいましたが(笑)、最終的にはチャレンジしてみる?と言ってくれました。ちゃんとケアできるか分からないのに、私に託してもらえたことを本当に感謝しています。

これがその植物です。

その後約1ヶ月間は、とても元気な状態を保っていました。しかし私が引っ越しをしてから湿度や温度が変わったからなのか、葉が鮮やかな緑から薄い緑色に変色していき、白い斑点がたくさん出てきたのです。預かりものなのに枯らせてしまっては大変だとかなり焦りました。水を頻繁に変えてみたり、水の量を調節したり、白い斑点を手で取り除いたり、周りの友達やハウスメイトに相談したりしました。

その時の葉です。

ですが状態が良くなりそうになかったので彼女に連絡して状況を報告し、ネットで見た重曹スプレーをかけるという対処法を試してみて、それでも治らなかったら葉を切り落とそうということになりました。それから彼女は、

「なんなら枯れちゃっても問題ないし、貰ったものは消滅すると心が開放されるって学んだから」

と続けました。とても素敵な考え方だなと思いました。そしてこの言葉は、貰ったものだからちゃんと責任を持って管理しないととプレッシャーに感じていた私の心を緩めてくれました。それからスプレーで対処してみましたがやはり状態は良くならなかったので、結局切り落とすことにしました。その時私は、葉が3枚あるのから美しいのに、2枚になってしまうのはなんだか嫌だなと思いました。でも病気の葉は他の葉にも影響するので、カットしました。

ですがそこからおそらく2週間経った頃でしょうか。植物に新しい芽が出てきたことに気づきました。私は植物に疎いので、これが自然なことなのか良く分からないのですが、また新しい葉が育つというのがとにかく嬉しかったのです。それは葉が2枚しかないことを完全に受け入れ、切り落としたときの悲しさも消えた頃のことでした。

これがその時の植物です。

そして今も、3枚目の葉は順調に育っていて、これからが楽しみなところです。

このような感じでここ2ヶ月間くらい人生で初めて心の底から植物に向き合ってきたわけですが、その中で大きな学びがいくつかありました。

1つ目は、問題が起きたら適切な対処法をすることです。とても当たり前のように聞こえますね。植物に白い斑点が出始めたとき、私はそれらを手で取り除いていました。しかし状況が悪くなって初めてリサーチをして、その斑点は真菌の一種であり手で取り除くことは逆にそれらを拡散させてしまうのだと知りました。もし斑点の少ないうちに適切な対処ができていたら、葉を切り落とす必要はなかったのかもしれません。問題が起こるとなんとかしなければと焦ることもありますが、分からないままに行動を起こすより、冷静な頭で解決策を考えることがやはり大切だと思います。言うのは簡単ですが、実際にできているかと言われると私はそうではないので、植物を育てる過程で一つの学びとなりました。

2つ目は、自分が感じるプレッシャーは自分自身で作り出しているということです。もちろん彼女は私に植物をしっかりとケアしてもらいたかったとは思いますが、絶対に枯らしてはいけないというのは私が勝手に思っていたことでした。彼女は私が植物の状態が悪化していることを報告したとき、自由になんでも思いつく対処法をやってみてと言ってくれました。一人で勝手にプレッシャーを感じて落ち込む前に、どんなことで困っているかを伝えてみることでそれが幻想であったことに気づき、より良いパフォーマンスができるようになるのかなと思います。

3つ目は、理想像へのこだわりが苦しみを生むということです。葉が3枚ある状態のほうが美しいと思っていたので、切り落とすのが嫌だと感じたし、実際に切り落とした後も納得がいかない感じがありました。この不快感は「葉が3枚の方が美しい」という考えが私の中にあったからこそ生じたもので、2枚でも美しいと思うことができれば生じません。これは、日常生活で自分の弱さを受け入れられないことや、理想通りの自分になれずに苦しむことと一緒だなと思いました。そして葉が2枚の植物(私がもともと持っていた理想像とは異なる状態の植物)を受け入れた頃に、3枚目の葉(私の理想)が手に入りました。別に私が不完全な状態を受け入れなくても、勝手に3枚目の葉がまた出てきていたのかもしれません。ですが、それでは葉が3枚のときだけ、理想の状態の時だけしか喜びを得られません。もしかしたらまた何かの影響で葉が2枚になってしまうかもしれないし、実際現実世界では常に理想通りということの方が少ないと思います。それなのに理想の姿の時だけしか喜べないとなると、かなり余裕のない人生になりそうです。それに、例え理想の状態でいられる時間がそうで無いときより長かったとしても、それら2つの状態の波に振り回されて人生が終わってしまうは嫌だなと私は思います。もちろん理想や目標があるのはとても素敵なことですが、思い通りにならない状況も認めることで苦しみはなくなります。それに苦しみのない状態で得た喜びは、そうでない時の何倍も純粋で大きな喜びであり、さらなる喜びをももたらすのではないかと思います。

最後に4枚目の葉が出てきそうな写真で終わりにします。

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