みんな一回偏見や先入観を捨てて槇原敬之を聴いてみないか


みんなってマッキーのことどう思ってるワケ!?

おおっと失礼、告白の返事を急かす人みたいに
なってしまいました。

知っている方も多いかと思いますが念の為、

槇原 敬之
(まきはら のりゆき、1969年〈昭和44年〉5月18日) は、日本の男性シンガーソングライター

です。

おそらく最近のイメージとしては、
なんかやっちゃいけないおクスリをやっちゃった人
くらいの認識でしょうか。正しいです。

しかし、そんな偏見やイメージをすっ飛ばす
くらいに彼は天才的なシンガーソングライター
です。いくつかの曲や歌詞を紹介しつつ、
それを今日は証明しましょう。

①冬がはじまるよ (1991年)

1991年、『どんなときも。』というシングルが
大ヒットを記録し、彼は一躍注目の歌手と
なりました。

その次のシングルが正にこの曲だった
わけですが、その名の通り冬の始まりを歌う
曲です。

しかし、実はこの曲の冒頭の歌詞は
"8月の君の誕生日〜" というものです。
そう、風景は夏から始まります。

8月の君の誕生日
半袖と長袖のシャツを
プレゼントしたのは
今年の冬も それからもずっと僕らが
一緒に過ごせる為の おまじない

ひょえ〜なにそのおまじない!
8月に長袖をプレゼントするセンスというか、
もうこの時点で常人とは違うと思いませんか。

そして、彼の歌詞の特徴としては、
日常の一般的な風景を切り取るのがとても上手い。

冬がはじまるよ ホラまた 僕の側で
すごくうれしそうに ビールを飲む横顔がいいね

ビールって冬というよりはどちらかといえば
夏のイメージがある飲み物だと思うのですが、
見事に日常の風景に溶け込ませています。
もしも彼女がドイツ人だった場合には
とんでもない飲みっぷりでしょう。


②もう恋なんてしない (1992年)

先述の『どんなときも。』と並んで、彼の
代表曲に数えられるものです。

この曲はやはり構成。
テーマ自体は彼女と別れた後の男の心情という、
割とありがちなテーマですが、その歌詞は
他の追随を許しません。

君がいないと 何も できないわけじゃないと
ヤカンを火にかけたけど 紅茶のありかがわからない

冒頭のフレーズですが、もうここだけで
男側がいかに彼女に任せっきりで、
何もしてこなかったかというのが明白です。

ほら朝食も作れたもんね だけどあまりおいしくない
君が作ったのなら文句も 思いきり言えたのに

文句言うとかそんなんやから逃げられんねん!
と言いたいところですが

ただ朝食が美味しいと感じないのは、きっと
自分が作ったからというだけではなく、喪失感
から来るものもきっとあるのでしょう。

一緒にいるときはきゅうくつに思えるけど
やっと自由を手に入れた
ぼくはもっと淋しくなった

"自由"というのはポジティブな意味合いで
使われることの多い単語ですが、ここでは
"孤独"というニュアンスに近いです。

さよならと言った君の
気持ちはわからないけど
いつもよりながめがいい
左に少し とまどってるよ

サビのフレーズ。
普段から左側の視界に映るはずだった存在が
いなくなってしまったことを詩的に
伝えているのが憎いですね〜。





もし君に一つだけ

お?

強がりを言えるのなら

え?なになに?

もう恋なんてしないなんて

えっ!? まさか!!?

言わないよ絶対〜

いーや言わないんか〜い!!!!
タイトル「もう恋なんてしない」
なのに、恋するんか〜い!!!


素晴らしい裏切りですね。
君以外の別の人と必ず幸せになるさ!
という決心なのですが、あくまで"強がり"

きっとこの主人公が失恋から立ち直るのには、
もう少し時間がかかりそうです。


③彼女の恋人 (1993年)

親友の恋人を好きになってしまったという
テーマの楽曲。ドロドロの昼ドラ的展開ぽく
なりそうですが、彼の爽やかな歌声のお陰で
聴きやすい一曲になっています。


そして、この曲のキラーフレーズはここ。

気持ちのアクセルなかなか 踏み込めない僕は
出足がよくないといつも 教習所でも言われてた

なかなか踏み込むことのできない関係を、
車のアクセルになぞらえているのが秀逸。

ちなみにこの曲の冒頭では、

僕の車にそんな風に かんたんに乗れるんだね
確かにちゃんと家まで 送るつもりだけど

と、ちゃっかり車が登場しています。
く〜憎いね三菱!

ただ、出足が早くても決して良いとは言えません。
私はそのせいで、免許の試験でお婆さんを
轢きかけました。受かりました。



④遠く遠く (1992年)

CMソングとして使用されたこともあって、
彼の曲の中でも知名度が高いですが、実は
アルバムに収録されている曲の中の一つです。

故郷を離れ、一人で働いている方や
そういった経験がある人には、本当に
染みる曲になっていると思います。
地方出身者でもない自分ですら共感しそうです。

この曲で取り上げたい一節はここです。

遠く遠く離れた街で 元気に暮らせているんだ
大事なのは "変わってくこと" "変わらずにいること"

そう!!正に俺が言いたいのはそれ!!

自分を変えてやるんだ!
これまでの自分をぶち壊せ!

的な世界観の歌詞が蔓延っている中で、
変わらずにいることの大切さも彼は歌います。
そのバランスがとても難しいんですよね。


⑤Hungry Spider (1999年)

この曲は歌というより物語と言うべき。
一番筆者が好きな曲でもあります。

ちょうどこの曲が出た数ヶ月後に、一度目の
やっちゃいけないお薬がバレているので、
ハイになった状態で作ったのではないかと
言われていますが、んなことはどうでも良いくらい
完成度の高い曲です。

今日も腹を減らして一匹の蜘蛛が
八つの青い葉に糸をかける
ある朝 露に光る巣を見つけ
きれいと笑ったあの子のため

この曲の主人公は蜘蛛(に投影した自分自身)。
スパイダーマンのようにカッコいいもんじゃなく、
あくまで醜いものとして描かれます。

やっかいな相手を好きになった
彼はその巣で獲物を捕まえる
例えば空を美しく飛ぶ
あの子のような蝶を捕まえる

蜘蛛である主人公は、自分が恋に落ちている
ことに気がつきます。
その相手は蝶(に投影した意中の人)。
古くから日本においては、身分違いの恋というのは
テーマになりやすい傾向があります。

蝶は、美しい羽を魅せながら、
空を飛んでいきます。方や蜘蛛である自分は、
腹を空かして獲物を巣で捕える生活。

朝露が乾いた細い網に
ぼんやりしてあの子が
捕まってしまわぬように

しかしそんな腹ペコ蜘蛛さんでも、見境なく
捕まえて食べてしまうわけではありません。
美しい蝶である"あの子"だけは、捕まらないように
と慎重な態度を見せます。 

好きな相手が巣にかかったら嬉しいはずなのに、
蜘蛛としてはそれは本意ではない。
きっとそれは、思いが一方通行であることに
気がついていたからかもしれません。

I'm a hungry spider
you're a beautiful butterfly
叶わないとこの恋を捨てるなら
この巣にかかる愛だけを食べて
あの子を逃がすと誓おう

決して自分のものになんてならなくてもいい。
ただ、相手が少しでも自分のことを気にして、
覚えていてくれたらいい。
"愛"というのは解釈が分かれるポイントです。

今日も腹を減らして一匹の蜘が
八つの青い葉に糸をかけた
その夜 月に光る巣になにか
もがく様な陰を見つけた

やっかいなものが巣にかかった
星の様な粉をまくその羽根
おびえないように闇を纏わせた
夜に礼も言わず駆け寄る

2番になると、巣に何か獲物が捕えられているのを
発見します。

しかしそれはなんと、自分自身が一番
捕まってほしくなかった、あの蝶でした。

今すぐ助けると言うより先に
震えた声であの子が
「助けて」と繰り返す

なんとも切ない場面ですね。
完全に彼女は怯えきってしまっています。

やはり、この恋が叶うことはないのでしょうか。

I'm a hungry spider
you're a beautiful butterfly
叶わないならこの恋を捨てて
罠にかかるすべてを食べれば
傷つかないのだろうか

蜘蛛はもはや自暴自棄になっています。
相手を傷つけたくない気持ちよりも、
自分が傷つきたくない気持ちが上回って
しまっていることから、蜘蛛の葛藤が見てとれます。

何も言わず逃げるように
飛び去る姿さえ美しいなら
今死んで永遠にしようか

歪んでしまった愛はよく"死"と結びつけられます。
石川さゆりさんの『天城越え』にも

"誰かに盗られるくらいなら
   あなたを殺していいですか"

というフレーズがありますよね。

さて、この蜘蛛が出した決断とは、、、















さあ、体験版はここまでで終了だよ!
楽しんでもらえたかな〜?
この先は是非キミの目で確かめてくれ!
次は製品版で会おう!それではまた!



ということで、是非この曲は曲を聴きながら
歌詞を見てみて下さい。

ここまで槇原敬之氏の名曲を紹介させて
いただきましたが、少しでも彼の
天才っぷりが伝わっていたら幸いです。

確かに大麻や違法ドラッグというものに
手を出してしまったのは愚かな行為です。

しかし、それをもってしても彼の素晴らしい
才能はしっかりと認められても良いのではないかと
思います。





ただしCHEHON、テメーはダメだ。

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