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蜜柑 芥川龍之介(8/2)

昨日に続き、芥川龍之介。これも友人が好きだと言っていた作品。
個人的には共感する部分が、非常に多かった。

列車の中の話である。

外を覗くと、うすい暗いプラットフォムにも、今日は珍しく見送りの人影さえ跡を絶って、唯、檻に入れられた子犬が一匹、時々悲しそうに吠えていた。これらはその時の私の心持ちと、不思議なくらい似つかわしい景色だった。私の頭の中には云いようのない疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のようなどんよりとした影を落としていた。

こんな状態で、発車する。

そんな気持ちの中、いかにも田舎者らしい少女が列車に乗ってくる。三等車の切符を持って、二等車に座っている。

仕方なく、新聞をみても代わり映えしない世間の様子はかえって憂鬱な気持ちを引き立てるだけだ。

このトンネルの中の汽車と、この田舎者の小娘と、そうしてまたこの平凡な記事に埋まっている夕刊とーーこれが、象徴でなくてなんであろう。不可解な、下等な、退屈な人生の象徴でなくて何であろう。

皆さんは、こんな気持ちになったことないだろうか?

僕はしょっちゅうこんな気持ちになる。

何かわからない憂鬱な気持ちに苛まれて、全てが嫌になる。でも、周りのことを批判するけど、結局、自分はそんな中にいないと生きていけない。

そんな無力さというか、焦燥感というか、だるさというか、しばしば、全てが嫌になる時がある。

そんな時、あの少女が電車の窓を開けた。

あの霜焼けの手をつとのばして、勢いよく左右に振ったと思うと、たちまち心を踊らすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供達の上へバラバラと空から降ってきた。私は思わず息を飲んだ。そうして刹那に一切を了解した。小娘は、おそらくこれから奉公先へおもむこうとしている小娘は、その懐に蔵していたいくかの蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切まで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。

たったこれだけのことで、気持ちが晴れた。この美しい蜜柑が気持ちを晴らしてくれた。梶井基次郎が書いた「檸檬」の様だ。

暮色を帯びた町はずれの踏切と、小鳥の様に声をあげた3人の子供達と、そうしてその上に乱楽する鮮やかな蜜柑の色とーー全ては汽車の窓の外に、瞬暇もなく通り過ぎた。が、私の心の上には、切ない程はっきりと、この景色が焼き付けられた。そうしてそこから、或得体の知れない朗らかな心持ちが湧き上がってくるのを意識した。私は昂然と頭をあげて、まるで別人を見る様にあの小娘を注視した。

たった、これだけのことなのに、今まで蔑んでみていた少女が全く違う様に見える。見える世界って単純なことで変わるんだろうな。

私はこの時始めて、云いようのない疲労と倦怠とを、そうしてまた不可解な、下等な、退屈な人生を忘れることができたのである。

「美しいと思う、あなたの心が美しい」

こんな言葉をふと思い出した。

きっと、退屈なのは、人生が退屈なのは自分の心のせいだ。


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松本啓
いつもありがとうございます!まだまだ未熟者ですが、コツコツやっていきたいと思います!